ウィルは何も言わずシャルルに新聞とハンカチを渡した。ヴィンスは涙の止まらないシャルルを支えるようにそばにいた。シャルルとヴィンスをステルクス寮までウィル付き添ってくれた時にようやく、シャルルは顔を上げることができた。
「暖かくして、早く寝なよ」
ウィルが笑顔でそう言って、シャルルはぐしゃぐしゃの顔のまま頷いた。
シャルルは小さい子供のように泣き疲れて、その日は食事も取らずに眠った。小さな寮の部屋には雪に反射する月明かりが差し込んでいる。ニウェース聖区の冬の夜はとても澄んだ空気で、遠くの星々まで煌びやかに見え、月の影までしっかりと見えるほどだった。底冷えのする寮の部屋はいつもより少し暖房の設定温度を上げて、シャルルとヴィンスは重たい毛布の中に丸まって眠っていた。
その日もまた、シャルルは不思議な夢を見た。そう、夢だとわかって夢を見ていたのだ。光り輝くベールを身に纏っている名状しがたい何かがシャルルの前に立っていた。姿も顔も、光り輝く何かであるということ以外は何もわからないはずなのだが、とても美しいと思った。
それはシャルルに近づくと手のようなものを伸ばした。シャルルはそれを掴まなければいけないと思って応える。
《来なさい》
それの声は今まで聞いたことのある、父のような、母のような声だった。
ついて行った先で、シャルルは泉の前に立たされた。白い階段が白い泉の中へと進んでいる。それはシャルルの手を離して、背を押した。
《行きなさい》
シャルルは一度振り返ろうとしたが叶わず、ただ言われるままに白い泉へと階段を降りていく。夢なので当然息ができないということもない。頭まで泉に浸かったところで、中は白くなく、無色透明であることに気がついた。果てしなく続く何もない空間をシャルルは考えることもなく足を進めていく。そうしなければならないと思ったからだ。少し経つと、シャルルの耳に優しい声が聞こえてきた。まるで小さな子供に、読み聞かせをするような声。先ほどの光り輝く何かとはまた別の声だった。シャルルは歩き続けながらその声に耳を傾けた。
それは今より少し前のこと。数多ある神々の中に、冥神と呼ばれるものたちがあった。
冥神はいくつもが役割を分担し、人々の魂の行き先を決める仕事についている。
とある冥神は、人々の魂をとても愛おしく思っていた。そして、たびたび、人々の世界へと降りていった。
ある日、冥神はある女に恋をした。冥神はその女をとても愛していたので、人の姿に化けて、女と逢瀬を深めた。
その冥神は他の仲間に止められるのにも関わらず、何度も女に会いにいった。
そして月日が経ち、女は身籠った。
神の一柱であるにも関わらず人間と関係を深めたその冥神に、天帝は大層お怒りになった。神々の約束を破ったからだ。
女は子を産み落とすと、神と交わった罰として、数日もせずに亡くなった。
生まれた子供は双子であった。神々は類い稀なる力を持つ彼らへ、大きな力の代償に呪いを、天帝は両親を失う彼らに加護をお与えになった。
双子は目も開かぬうちに、その絆を引き裂かれ、善良な人間の元へと送られた。
神々の約束を破った冥神は罰として、彗星に変えられた。広大な二つの宇宙を、その罪を償うために孤独な巡行をしている。
何億年もの先に、愛した女が輪廻を終えるその時まで……
目が覚めた時、シャルルのベッドの周りには爪ほどの小さな白い花びらがいくつか落ちていた。珍しくもヴィンスよりもはやく起きたシャルルは花びらを集めて感触を確かめる。花びらの形には見覚えがあるが、どの花かは判別できなかった。そうしているうちにヴィンスも起床して、目をこすりながらシャルルのベッドサイドへと腰掛ける。
「何かあった?」
「起きたら花が」
「……こんな冬なのに?」
二人して首を傾げる。まだ頭も起きていない。花びらを触りながらシャルルはポツポツと今日見た夢をヴィンスに語る。話を聞いていくうちに、ヴィンスの方は目が覚めてきたのだろうか、前のめりになりながら、真剣な顔つきでこう言った。
「それ、君は精霊か神を見たんだ。教会に相談しに行かないと」
「え? 何を見たって?」
「精霊か神だよ、星地の、僕らより高位の存在。何か伝えようとしているのかもしれない」
興奮気味にそういうヴィンスにシャルルは慌てる。自分が神か精霊にあったなんて思いもしなかったし、まさかそんなお伽話のようなことが起きるのかとシャルルが言い訳のように呟くと、ヴィンスは首を横に振る。
「僕らは星天の声が聞こえるだろう? それなら、彼らの存在に触れられてもおかしくない」
「でも綺麗だってことだけしかわからなくて、どんな見た目かもわからなかったし、ただの夢かもしれないし……」
「だからだよ。僕らは神や精霊の姿を描写することができないんだ。いくつもの神学の文献に書いてあるのを読んだけど、教会は神の存在を記録しているけど、その姿を残すことはできないんだ。覚えていられなかったから。ただ、何を伝えたかだけは記録されていってる。つまり君がその見た目がわからなかったことも、綺麗だとしか思えなかったことも、教会が記録している神や精霊の説明に一致するんだよ」
ヴィンスが熱弁するのを聴きながら、シャルルはめまいがするようだった。ヴィンスが言うことは、能力別の授業で出された神学入門の宿題を解いているときに本で見たのを覚えている。でも自分の身に起こるとなると話は別だ。
冬休みが明けて授業が再開したその日、シャルルとヴィンス、話を聞いて興味を持ったウィルの三人で教会を訪れた。学園寺院の管理者であるカルマン主卿が不在のため、術僧頭のガーウェン氏が対応してくれたが、シャルルたちは思っていたような回答を得られずにがっかりした。
「夢に神が……私個人としてはそのような話は聞いたこともないが、リーヴス君は星詠みが強いとなれば、きっと星天の声のうちの一つだろうね」
と言ったガーウェン氏に礼を言ってからそそくさと寺院を出てきた三人は、教会から一番近い東南塔の入り口から校舎に戻ってきた。図書館で調べてみようかと話を固めたところ北棟へと向かおうとしたところでシャルルは足を止めた。
「あれ、また花びら」
シャルルの目の前にふわりと白い小さな花びらが落ちる。雪は降っていないし、この辺りに当然花が植っていたり活けられたりもしていない。
「ねえ、あっちに続いてないか?」
ヴィンスも気がついたようで数メートル離れたところへ走っていった。
「ウィルにも見える?」
シャルルが手のひらに乗せた花びらをウィルに見せると、彼は首がもげるのではと言うほど頷く。
「今度は俺にもわかるやつだ! どこに向かってるんだろう?」
三人は花びらを辿って、学園の塔から塔へと走っていく。たどり着いたのは、目的地の北塔、図書館のある場所だった。そこに白い花が一輪落ちていた。シャルルがそれを拾うと、わずかに光を放つとふわりと消えた。
「え、どっかいった」
ウィルがシャルルの周りをぐるぐるとまわって確認するがどこにも落ちていない。三人が集めた花びらも跡形もなく消えてしまっていた。ヴィンスも不思議そうにシャルルの手の中を見ていたが、ふと気がついたように尋ねる。
「シャルル、さっきの花の種類はわかる?」
「マーガレットだよ。多分、花びらも同じものだと思う」
「シャルルが襟につけてるやつと似てたよね」
ウィルがシャルルのシャツの襟を指差す。ヴィンスはハッとした顔をしてシャルルを見る。シャルルも何かに気がついたようで目を丸くするのでウィルは二人を交互に見て怪訝な表情を浮かべる。
「え、何? 二人とも」
「マルガリアだ!」
「何それ?」
「僕がいた島の神様なんだ。花の神様」
三人は急いで図書館へかけていく。その後ろ姿を見つめている赤い瞳があることも知らずに。
◆
「カイル、トーマ」
小さな白うさぎが目をぱちくりと瞬かせて二人の少年のところへやってきた。一人は羽ペンを片手に書物に記録をして、もう一人は楽器を片手に楽譜を眺めていた。二人が振り向くと同時にうさぎの姿は、少年の姿へと変わる。
「どうしたんだ、シャーリー」
書きものをしていた少年、カイルはシャーリーの怯えたような表情に気がついて立ち上がる。
「マスターが危ないよ」
「また何か聞こえた?」
楽譜を見ていた少年、トーマも心配そうに首を傾げる。
「緑の生徒と青の生徒、三人組が何か探ってる」
「……あ、ダンとキースが捕まえそびれた三人だ?」
シャーリーはトーマの言葉に小さく頷く。カイルはシャーリーの頭をそっと撫でて、ポケットから錠剤が入った小さな袋をいくつか取り出すと、困ったような表情を浮かべているシャーリーの手にそれらを渡す。
「よく見つけたね、シャーリー。えらいよ。マスターは大丈夫だと言ってたから、僕らは任された仕事をこなそう」
「……でも、ぼくは、これでいいの?」
「もちろん。シャーリーは末っ子だし、体の大きい僕とトーマが向こうの仕事をすればいい」
「カイルと僕じゃ、警戒して受け取ってくれないからね。それ、ポケットに忍ばせるだけでもいいって。マスターの新作」
カイルとトーマの言葉に、渋々ながらもシャーリーは頷く。念を押すようにカイルはシャーリーの肩を軽く叩く。
「僕らの任務が達成できたら、マスターが望む世界に近づくはず。僕らももっと、生きやすくなるはずだ」
「そしたら、ダンとキースも戻って来れる?」
シャーリーはカイルとトーマを交互に見て尋ねた。いなくなってしまった家族のような仲間は、戻って来られるのだろうか。
「きっとね」
楽譜に目線を戻して、トーマが呟く。
