その日の夜。寮の自室に戻ってシャルルとヴィンスがそれぞれに課題を進めているとき、軽やかに三回扉がノックされた。
「小包が届いてるぞー」
寮長のクロエの声だ。シャルルは立ち上がってドアを開ける。分厚い茶封筒がクロエからシャルルへ差し出される。封筒に書かれた字をちらりと見てクロエが微笑む。
「お母さんか?」
「はい。退院したので、家にあるものを送ってくれたんだと思います」
「そうか、よかったな。……グレイ、お前にも」
「え、僕もですか」
自分は関係ないだろうと机に向かい続けていたヴィンスが驚いたように振り返って、シャルルの隣へとやってきた。
「ああ。天測庁から……そっちに興味あんのか?」
差出人を見ながら、もう一つ手に持っていた白い封筒をヴィンスに手渡す。
「いや……まあ、そうですね」
言葉を濁しながらそう言ったヴィンスに、少しだけ目を丸くしてから、クロエはシャルルとヴィンスの肩を叩いて「課題頑張れよ〜」と言って部屋を出ていった。
二人は、それぞれに送られてきたものを持ってベッドに座る。
「お母上は無事に家に帰れたんだな」
「うん。思ってたより早く退院できたんだって。何を送ってくれたんだろう……?」
茶封筒の封を開けると、書類がギッチリと入っていた。どうにかこうにか封筒から出すと、小さく折り畳まれた手紙がかさりと膝の上に落ちる。母からの手紙だろう。広げてみると、小さな字でこう書かれていた。
無事に退院しました。
お家に帰って、お父さんの遺品を見ていたら、あなたの名前が書かれている紙の束があったのでそのまま送ります。
お父さんの研究資料の中にあったから、見せたかったのかもね。
夏に帰ってくるのを楽しみにしています。
お母さんより
書類の束は緑色の紐でまとめられており、一番上には「愛息子、シャルルへ」と流れるような筆致で書かれている。その裏には短いメッセージがあり、シャルルは思わず口に出していた。
「大きくなったシャルルに、父さんの仕事を見せようと思います。日記の開け方のヒントは君が愛用しているものだ。簡単すぎるかな?……」
「ん? お父上のものが届いたのか?」
シャルルのつぶやきに、ヴィンスは険しい顔で見ていた手紙から顔を上げて尋ねる。
「そうみたい……。日記が開けられるのかな、僕が愛用してるものってなんのことだろう」
自分の机の引き出しにしまってある、以前母から預かった父の日記を取り出してシャルルは腕を組む。ヴィンスも立ち上がって、シャルルの隣に来る。
「ペンデュラムだろ」
肩をすくめて机に置いてある緑色の石を指差すヴィンスに、シャルルは目を丸くする。
「……なんで思いつかなかったんだろう!」
シャルルはペンデュラムのチェーンを持って、父の日記の上にかざす。さすがにそれだけではなんの反応もしないため、少し魔力を流すようにしてみると、ちかちかとしたエメラルドの光を放ちながら、ペンデュラムが揺れる。共鳴して日記の表紙にある緑色の石も光る。かちり。日記を留めていたバンドが取れた。
「開いたな」
「うん。ありがとう、ヴィンス」
満面の笑みでシャルルが言うとヴィンスは頬をかきながら、別に大したことはしてない、と返して自分のデスクに戻った。シャルルも座って、ゆっくりと黒革の表紙を開く。消毒薬のような匂いが少し鼻先を掠めた。
二月二十四日 シャルル 一歳の誕生日
記念に日記帳を買ってみた。記録を残して、シャルルのためになればいいと思う。これをみている未来のシャルルは父さんのことをどう思っているかな? 今は横でスヤスヤ寝ているけど、字を読めるようになって、魔法も使えるようになっているかな? 父さんは君が無事に一歳の誕生日を迎えてくれて(そして大きくなってこれを読んでくれているなら)とても嬉しいです。
懐かしい父の声が頭の中に流れていく気がして、シャルルは鼻を啜った。あまりじっくり今読むと、またたくさん泣いてしまいそうだと思いながら、読むでもなくペラペラと日記のページをめくっていく。どのページにも、「シャルルがバラを食べようとしてしまったのがおかしかった」だとか「幼馴染のリリちゃんと仲良く遊んでいるのが微笑ましい」など、幼き頃のシャルルの成長を喜ぶ父の心模様が滑らかな字体で書かれていた。
三月三十日
シャルルの誕生日を祝うための休暇が終わってしまったので、今日からまた研究院に戻ったよ。父さんの仕事を知って欲しいので、研究についてもここに記しておこうと思います。シャルルはきっとシエロかサナティオだろうから、私の研究内容がわかるときっと将来どこかで何かの役に立つかもしれないね。役に立たなかったら、それはごめんね。
もし、君が大きくなってもまだ自分の能力の種類を知らないのであれば、きっとアルカンナ島で暮らしているだろう。本当は生まれてすぐに能力を検査しておきたかったけど、母さんと話し合って学園に行かない方法をどうにか考えた結果なんだ。父さんと母さんは、シャルルに子供時代を島のゆったりとした空気の中で過ごして欲しかったんだ。
そして、もし大きくなって自分の能力を知っているシャルルへ向けて、これからは書いていこうと思う。遅かれ早かれ、父さんは君に本当の自分自身を知ってほしいと思っている。父さんがその時そばにいるかは関係がないけれど、君が能力を知ることになる理由の一つには私がいるだろう。もし、それで苦しみなどを感じた時には、父さんのせいにしてくれて構わない。
どうしてこう書いたのかは明日の日記で記すことにしよう。今日は島から本土への移動でとても疲れてしまったよ。また明日。
……
四月一日
門戸の日が近いとなると、ニウェース周辺はいつも以上に警備が固くなるな。島の穏やかさがもうすでに懐かしいよ。
今日はシャルルの能力について、父さんの研究内容と少し関連させてメモを取っていこうと思う。大きくなった君が知って驚くかもしれないけど、すでに知っていたら素晴らしいことだと胸を張ってくれ。
シャルルの能力は昨日も書いたようにシエロもしくはサナティオだろう。父さんがサナティオ、母さんはシエロだからね。知らなかったら驚いたかもしれない。多くの場合、魔力の種類は家系と密接に繋がっている。もちろん、遠いご先祖様にフォルツォがいるだろうし、元を辿れば原初の魔法使いが全ての魔力を持っていたから、どれになってもおかしくはないけれどね。シャルルは生まれた時から、月が明るい時はとっても元気でシエロの性質をたくさん持っているし、父さんや母さんの様子をよくみているし植物も好きだからサナティオかもしれない。
父さんが研究しているのはそういう「魔力の種類」に関連するところなんだよ。もう少し詳しくいえば、能力がどんなふうに体調に影響を与えていて、健康状態が変わるのか、みたいなことなんだけれど、あまり詳しく書いてしまっても、君には難しすぎるかもしれないから、そこそこでやめておくよ。書き始めたら止まらなくなってしまいそうだから、今日はここまで。
……
五月十九日
昨年からずっと一緒に研究をしている後輩がいるんだ。彼は頭が良いけれど、良すぎるが故に少し過激なところがあって不安です。ぶつかることもあるけど、その分だけ深く議論はできるね。
シャルルは父さんに似れば考えることが好きかもしれないけど、正義感というものについては、充分に慎重になった方がいいと父さんは思います。
後輩は私が行っている医学とはかなり離れた、歴史学を専攻している人なんだけれど、その人のお父さんがとても有名な研究者でね。学園に通っていた頃にはとても良くしてくれたんだけれど、不幸にも事件に巻き込まれてしまって亡くなってしまったんだ。お父さんの意志を継いで研究者になったと、その後輩が言っていたのには心が動いた。それほど良い親子関係だったのだろうなと考えて。シャルルは父さんのことをどう思うだろうか? 別に誇りに思わなくてもいいけれど、父さんはシャルルが大好きだよ。
話がずれたね。今日の研究記録に戻ろう。今日は大体父さんが担当するべきところがほとんどできたよ。実は研究の内容自体はすでに学会発表でもしているから、論文をまとめてしまうだけという最終段階のようなものなんだ。何度書いてもこの論文というのは正直なところ面倒だね。でも、丁寧に物事を見つめて言葉にすることは大切なことだと考えているし、父さんはシャルルにも自分でしっかり考えたことを人に伝えられるようになってほしいなと思います。研究の基本を教えてくれた上司のディキンズという人がいるんだけれど、彼は本当にいい研究者だし、良い指導者だから、もしシャルルが大きくなったら彼の元を一度尋ねてみるのをお勧めする。
書いてみて思ったけれど、日記の文章はあちこちに話題が飛んでしまって読みにくいかもしれないね。疲れているかもしれないから、ここでおしまいにしておこう。また明日。
……
六月六日
共同論文は無事に終わった。「魔力分類における三能力の収斂」という論文だけど、シャルルには、というかほとんどの人には難しすぎるだろうね。
今日は共同著者の彼——ジュネットと少し研究観について議論が激しくなってしまって疲れたよ。ジュネットはこの前話に出した後輩だけど、学問が発展するならば、余命少ないものが実験対象になると言う彼の考えはあまりに過激だ。老い先が短いとわかっているから治験に参加すると言うのは乱暴すぎると私は考えている。シャルルはどう思うだろうか? 倫理的な話で難しいかもしれないね。考えを父さんに伝えなくてもいい。自分の中で、自分自身の言葉で考えてみてほしい。
私たち人間と魔物の能力や特性についての話をしていたら、白熱してしまってね。ジュネットが言うように、魔物が必ずしも悪い存在とは言えないが、だからと言って魔物へ攻撃したものならば、死んでもいいというわけではない。研究者としても医療者としても、彼を止めなければいけないと思う。どうしたらいいものか……
「ジュネット先生?」
驚いてシャルルは一度日記から顔をはなす。まだページはたくさん残っている。ディキンズ先生が父と関わりがあったことは聞いていたけれど、ジュネット先生も一緒に研究をするくらいの関係性だったなんて知らなかった。
「……どうしたの?」
ヴィンスが尋ねる。シャルルの戸惑った声を聞いて、椅子を近くに寄せてきた。
「父さんの日記に、ジュネット先生の名前が出てきて……」
シャルルはヴィンスにも見えるように、日記を横へずらす。自分が見ても大丈夫なのかとヴィンスが尋ねたが、シャルルは自分の感情を誰かと共有できた方がいいかもしれないと思って頷いた。
ページをめくっていくと、そこには何度もジュネット先生の名前が書かれている。
十月二十八日
ジュネットとはどうしても議論がうまくいかない日が続いているんだ。もちろん、建設的な議論が進む日の方が多いのだけれど、どうにもここ数日はうまくいかなくて悩んでいる。彼の次の研究内容について、先輩としても同僚の研究者としても相談を受けていて、私の方でもメモを残している。父さんもまだまだだな。医療者としての経験をジュネットの研究にも活かしてやれればいいのだけれど、私の伝え方が悪いのか、それとも私と彼との見ているところが違うのか……。研究内容については詳しくは書けないんだ。読んでいるシャルルにはよくわからないかもしれないけれど、話し合うと言うのはとても難しい。
……
六月十日
まずいことになった。次に配属されるのはジュネットが一番嫌っている海軍だ。ディキンズに相談したいが、ディキンズに被害が及んではいけないし、優秀なシエロを潰してはいけない。シエロの能力を私も使えていたならば、ジュネットを理解できただろうか? 止められるだろうか? 今の私ではどうすることもできない。軍でできることは、どうにかして手を尽くしてみようと思う。
もし、シャルルが大きくなって、父さんを手伝ってくれるのなら、たくさん残したメモをよく読んでみてほしい。一緒に考えてくれる人がいるととても助かるからね。その時もまだ父さんがこのことで悩んでいたら、シャルルの力を貸してほしい。ジュネットはおそらく、父さんの推測の域を出ないけれども、天候などの影響を受けて思考がいつもとは違うふうになってしまうのかもしれない。とにかくメモを読んでみた君の客観的な意見を聞いてみたい。この日記を書いている時のシャルルは十三歳だからまだ若すぎるし、母さんはこう言う話は苦手だから、今はできないね。
もし、無事に帰ってこれなければ、ごめんね。父さんの力不足だったと言うことだ。海軍には日記を持って行けるかわからないから最後になるかもしれない。明日から異動のために忙しくなりそうだよ。
毎日書けていないし、何を書いているかわからないところもたくさんあったかもしれないけれど、父さんからシャルルに伝えたいことはこれだけだ。
君が正しいと信じるものを、しっかり考えて選び取っていってほしい。それがどんな選択であっても、父さんが君を愛している事実はいつだって変わらない。
それが一番最後の日記だった。シャルルとヴィンスは同時に顔を上げた。シャルルは急いで先ほどベッドに置いた紙束を持ってきて捲っていく。そこには、日記に書いてある通りに、あらゆる研究に対するメモが書かれている。その中で一つ、糊付けされて簡単には見れないものがあった。ハサミで慎重に貼り付けられた端の方を切ると、中には「能力向上薬について、ジュネットとの議論」と見出しがあり、日付の横に箇条書きでいろんなトピックがあった。一箇所、四角く囲われて目立つようにされている部分があり、そこにはこう書かれていた。
・太陽エネルギーの転換:薬品化は困難。シエロ・サナティオ混合なら可能か?
・蝕による魔力影響に関する文献:ジュネット父ほか。古すぎる。信憑性△
・魔力核を取り出す→倫理的問題あり(ジュネットは軽視)。要検討
・ジュネット「四元素シエロ≒ミデン」
→データ不足、要検討
・自然エネルギーから魔力への変換、能力向上の可能性
→理論上可能でも製薬は困難のはず。先行文献要検討
→シエロもしくは微弱でも混交の場合に悪影響あり:自傷・破壊行為等(文献古い)
・臨床に持っていくべきでないはず
「これって、最近の事件と何か関連があると思わないか?」
ヴィンスに問われてシャルルは頷いた。自分の中で浮かんだ疑念と一致したのだ。
「事件にあった子たちが、同じ薬を飲んでいたかもってことだよね? でも……本当にそうとは限らないような」
「……推測でしかないけれど、僕は同じ薬だと思う。ジュネット先生とそれについて議論していたシャルルのお父上は、ジュネット先生を止めたいと書いていた。しかも、このメモについても『要検討』って何箇所も書いてあるし、問題ありって書かれているところもある。ジュネット先生が何か良くないことに向かおうとしていた、そのことを記録に残したんじゃないのか?」
シャルルはヴィンスの考えを聞いてまた日記とメモの束を眺める。どれもこれも父が真摯に研究に向き合ってきた成果だ。嘘をわざわざ息子に書き残すなんてことはしないはずだ。シャルルはもう一度よく考えてみた。
「父さんは能力向上薬は危ないから反対していて、ジュネット先生はそれを作ろうとしてたの……?」
「僕らの推測が正しいのなら、それが実現したってことだ」
