「試験結果が出たぞー」
三寮の監督生がそれぞれの寮生たちへ声をかける。眠い眼を擦りながら、ベッドから這い出たシャルルは、ヴィンスと一緒に階下のホールへと向かう。秋の星祭り、天帝祭から早半月が経ち、定期試験の結果が各寮に張り出される時期となった。学年ごとの順位が全て並べられた張り紙を、寮生たちが喜んだり残念がったりしながら眺めている。小さな字でびっしりと書かれており、なかなか自分の名前を見つけるのも骨が折れそうだ。
「試験勉強の時間なかったけど、どうだった?」
シャルルたちがやってきたのを見て、ステルクス寮の監督生であるクロエが声をかけた。
「初めての試験、緊張しただろ?」
正直にシャルルは頷いた。実際、定期試験の内容は二年までの内容も入っていたし、秋祭りでの騒動の後片付けを評議員が行わなければいけなかったこともあって、まとまった試験勉強の時間を取れなかった。シャルルにとって初めての試験だったが、どのみちあまりいい点数は取れないだろうと思っていたから、自己採点をしてから六割以下の正答率でもあまりショックではなかった。
「次のテストは頑張りたいです……」
あくびを噛み殺してそう答えるシャルルに笑いかけて、「ま、力抜けよ」と言ってクロエは騒いでいる他の生徒たちに注意しに行った。
「ヴィンス、あった?」
「ああ、十位だった」
なんともなさげにヴィンスが答えるが、何十人といる学生の中で上位に入るのがどれほど難しいことか、シャルルもわかっているため驚きながら順位表をじっと見る。名前の横には上下を指す矢印が付いていたりもして、ヴィンスは下向きの矢印が付いていた。
「下がったな。シャルルは?」
「今探してる……」
どうやら矢印は以前の成績との変動を表しているらしい。ヴィンスはほとんど満点に近い点数をとっているのに上には九人もいる。一位は誰なのだろうと見るとソン・ロイと書かれている。ヴィンスより上位の生徒たちはほぼ全員上向きの矢印が書かれている。そんなに一度に成績が上がる人がいるのか、と思ったが自分の名前を探すことに戻る。シャルルの名前はちょうど表の真ん中くらいで、印は何も書かれていなかった。点数は自己採点よりは高くてホッとした。
「六十番代だったよ」
「悪くない」
「よくもないけどね……」
肩をすくめて部屋に戻ろうとするヴィンスに続いて、シャルルも階段を登る。その途中で、上級生に呼び止められた。
「リーヴス、手紙が届いてるぞ」
彼は腕に手紙の山を抱えていて、いつも寮生に渡してくれる人だ。急いで階段を降りてきたシャルルに、にっこりと笑って先輩は白い封筒を差し出した。
「ありがとうございます」
渡された封筒を見てみると「ミラトア王立中央病院特部」と書かれていた。母さんのことについてだろう。シャルルは急いで封を開けて、几帳面に畳まれている薄い便箋を開く。書かれていたのは、見慣れた母の字。手紙を送れるようにはなったのかと安心して目を通すと、安定してきたから思ったより早くに退院できそうだということ、近いうちにまた顔を見せにきて欲しいという旨が、こざっぱりとした字で綴られていた。
「誰から?」
気になったらしいヴィンスが階段の手すりからシャルルを見下ろして尋ねてくる。シャルルは便箋を封筒に入れ直して、階段を駆け上がる。
「母さんから。ちょっと元気になってきたみたい」
「よかったじゃないか」
そんな会話をした次の週末休みに、シャルルは王立病院へと向かった。初めて訪れた際には、同じく病院へ用があるというサミュエル先生が付き添いをしてくれたが、今回も別の先生が付き添いをしてくれることになっている。ディキンズ先生に頼んだところ、研究院で教授会があるとかで、教授職についていないケインズ先生に頼んでくれたそうだ。
シャツの上にセーターを着て、防寒にマントも羽織って、さらにはマフラーで首元をぐるぐる巻きにしたシャルル。彼が寮を出て、王立病院へ続く道につながる西門の方へと向かうと、黒い中折れ帽をかぶったケインズ先生の姿が見えた。寒いのが苦手なのかコートの襟を立てて、体を温めるためだろうか門の前を行ったり来たりしている。シャルルが近づいてきたことに気がつくと、ケインズ先生は歩みを止めて、黒い手袋をはめた片手をあげる。
「ケインズ先生、今日はよろしくお願いします」
「ああ。よろしく。寒くないかい? 君は南の方出身だったろう」
「はい。マントがあるので大丈夫です」
ケインズ先生は武術の担当だからシャルルとは直接関係がないのだが、出自を知っているところを考えると、関わる生徒の情報はしっかり見ておくタイプの先生なのかもしれない。歩き出したケインズ先生の後ろを小走りに追いかけた。道中何も話すことはなかったし、前をじいっとみて歩いていたケインズ先生がなんだか怖く感じてしまった。
今回は誰も診察を受ける予定がないため、そのまままっすぐ特部病棟に向かうことになった。中央病院の敷地に入ったところでケインズ先生が唐突に口を開いた。
「お母様のお見舞いだったね?」
「はい。この夏から入院していて」
「そうかそうか。君も大変だったろう。実はここの特部に知り合いの医者がいてね、しっかり見てもらえるように話を通しておくよ」
どこか取ってつけたような笑みでケインズ先生はシャルルにそう言った。お医者さんの知り合いがいるとは、ケインズ先生もやはり貴族だったり高い地位の人だったりするのだろうかと思って、お礼を言いながらシャルルは先生が身につけているものをちらりと見る。高そうなスーツだし、学園に異動になったということは、きっと前の職場でも指導をする立場の人だったのかな、などと考えていると特部病棟の待合室にたどり着いた。
「見舞いの手順はわかるね?」
「はい。以前も来たので覚えています」
「えらいね。私は例の医者と少し話してくる。もし君の方が早く終わったら、この待合室で座っていてくれ。私の方が早く終わった場合も同じようにしよう」
わかりました、とシャルルが答えるより先に、ケインズ先生は足早に病棟の奥へと消えていった。少し面食らったが、シャルルも受付へと向かった。
相変わらず無愛想な受付の人から面会のためのカードを受け取って、シャルルは迷うことなく足を進めた。今日は診察のための患者がいるようで、くぐもった不明瞭な話し声が一階の奥、おそらく診察室があるだろう場所から聞こえてきた。一体どんな人が来ているのだろうと少し気になったが、エレベーターが小気味良い音を立てて目的の階へ辿りついたので思案の外へとやった。
母、ミニョンの病室の前にやってきてノックをしようとシャルルが右腕を挙げたところで、扉が開いたので驚いて後ずさる。
「あら、ごめんね。リーヴスさん、息子さんが来てますよ」
声に顔をあげると、前回見舞いに来た時に薬を持ってきていた看護師が立っていた。「すみません」と小声で詫びながら、傍に避けた看護師の横を通り抜けて病室へと入る。母はシャルルを見てパッと顔を輝かせた。耳を覆っていた大きなイヤーマフがなくなっているところを見ると、どうやらかなり調子は良くなってきているのは本当らしい。そう知って、シャルルもホッとして笑顔になる。
「シャルル、いらっしゃい」
以前よりずいぶん顔色が良くなっている。目の下の隈はまだ完全に取れていないようだったが、明らかに血色が違う。手招きをしてシャルルをベッドサイドのスツールに座らせると、間髪入れずに話し始める。
「お医者様がね、来月の検査で良くなっていたら退院してもいいっておっしゃったのよ」
嬉しげに語る母にシャルルは頷く。
「すごく調子よさそうだね」
「今日はね、ものすごくいいわ。シャルルが来てくれたもの。それに、あの重たいイヤーマフをしなくて良くなったから肩こりもなくなって最高よ」
母の話す様子は数年前、父レイモンド存命時のような明るさを思い起こさせるものだった。サイドテーブルの上に置かれている書類を取り出して、それを膝の上に乗せた母が、そういえば、と話を切り出す。
「この間、お医者様が私の病気の受診歴を確認したいっていうから、この書類を出すためにね、入院するときに色々と突っ込んできたカバンの中を整理してたんだけど、慌ててたからか、おじいちゃんがお父さんのものまで入れてたのよ」
「パパの?」
頷いた母がキャビネットを示すので、シャルルは立ち上がって戸棚を開く。「そこの茶色いカバンよ」といわれて、勝手に中を開けるのも母親のものとはいえ悪いと思って、シャルルはそれを先ほどまで自分が座っていたスツールに載せた。
「ちょっと待ってちょうだいね……ええと、そうこれ」
そう言って取り出したのは黒い革の手帳。シンプルながらも重厚感が感じられる表紙にはきらりと緑色の小さな石が嵌め込まれていた。
「お父さんの日記よ。来て欲しいって言ったのは、これを渡そうと思ったからなの」
「僕が読んでいいの?」
「ええ、もちろん」
微笑んだ母がシャルルに日記を差し出す。受け取ったシャルルは表紙を止めている帯を取ろうとしてみたが、びくともしない。
「……開かないよ」
「そうなのよ」
大きな溜息をつく母の横で、シャルルはただ重たいだけの冊子をあちこち調べてみるが、うんともすんとも言わない。どうやら鍵がかかっているらしい。
「シャルルでも開けられないなら私にはわからないわね。『シャルルが大人になったら見せてやるんだ』とか言ってたのよ? 開けられないんじゃどうしようもないのに、あの人ったらゴミを残したわね……。処分するしかないのかしら」
父を懐かしむような口調で文句を垂れている母親に呆然としていたが、最後の言葉にシャルルは思わず黒革の手帳を抱きしめるように持ち直した。
「だ、だめ! 僕がもらう」
「あら」
滅多に出さないシャルルの大きな声に母親は目を丸くした。シャルルは自分でも驚くくらいにスラスラと、手放したくない理由が口をついて出てくる。
「パパが僕が大きくなったら見せてくれるって言ったんでしょう? じゃあ、その時になったら開くかもしれない」
「……シャルルが言うことも一理あるわね。じゃあ、持っていきなさい。レイモンドの少ない遺品の一つだもの」
父の日記を抱えたシャルルは、母に別れを告げて病室を出たところで、エレベーターから降りてくる人影に気がついた。杖をついた顔色の酷く悪い女性と彼女を支えるように歩く背の高い男性のようだ。シャルルはどこか不思議な気持ちになりながら二人を見ていた。女性の方にどこか見覚えがあるような気がしたのだ。以前の母のような顔色の悪さからだろうか、シャルルは知らない人をじっと見るのも悪いかと思って、階下へと向かおうとした。病棟の廊下はよく声が反響する。以前に見舞いに来た時もそうだったが、いろんな話が耳に入ってきやすいものだ。特に、シャルルのように「良く聞こえる」人にとっては少々困りものではある。
「…だろう。今回は大事をとって、入院にして正解だと思う」
「あなたは心配しすぎ。兄さんたちには内緒にしておいてくださいね」
「もちろん。君の言う通りにする」
彼らとすれ違うときに、女性はちらりとシャルルを見ると穏やかな笑みを浮かべた。シャルルはそれに気がついて、軽く会釈をして少し足を早めた。彼らは足を止めたようだ。シャルルがそれなりに離れたところで、女性がふとつぶやいたことさえシャルルの耳には届いた。
「学園の子だわ、可愛らしい……」
「……懐かしいね」
答える男性の声に混じって、女性が少し咳をした。
「今日は……予報……」
「……そうだね、月が」
通り過ぎていく足音と、会話の内容が気になってシャルルは廊下を振り返る。咳と月が何の関係があるのだろうと思って気になったが、患者らしい女性と付き添いの男性は、看護師と会って話題を変えたらしい。何号室に入院することになるとか、そういう話が聞こえてくる。シャルルはエレベーターに乗り込んだ。
軽く揺れてベルが鳴り、エレベーターが止まる。看護師が一人、書類を持って乗ってきて、入れ替わるようにシャルルは降りた。だが、そこで自分が降りる階を間違えたことに気がついた。「三階 特部薬科」と書かれている案内表示が目に入ったのだ。仕方がないと思って、シャルルは振りかえってもう一度エレベーターのボタンを押そうとしたが、また聞こえてくる声に注意を引かれて手を止めた。ケインズ先生と誰かが話しているようだ。シャルルは自分でも理由が分からないものの、足音を立てないようにして廊下の角へと向かっていた。
「……前回の道具は粗悪品だったようだね。カイコに聞いたよ。悪いことをしたな」
ケインズ先生とは違う男の人の声だ。それに応えるように、軽く笑っているのは先生の方だ。
「いえいえ、先生はヒントをくださっただけですから、こちら側が選ぶものを間違えてしまったのです。次は子供達がうまくやってくれていますよ」
「ああ、あの子が一緒に住んでいるという? うまくやってるならよかった。以前も良い仕事をしてくれたからね」
「それはもう、お陰様でございます」
大人の人たちがよくする、面白いとも思っていなさそうな軽やかすぎる笑い声が響く。
「それで、当の本人の具合はどうなんだね? あまり呼ばれないが」
「相も変わらず、といった感じでしょうかねぇ……むしろ悪くなっているような」
「薬は飲んでいるのかい? 以前渡した分はもうなくなる頃じゃないか?」
「飲みたくないようですよ。どうも最近は以前にもまして嫌がるようなところが」
「まあ、他に似たような患者の入院もある。予報からみてもわかるだろうが、本人には十分注意するようにいっておきなさい。嫌なら無理やり私が屋敷まで行くぞと脅しておいてくれ」
「ははは、全くおっしゃる通りです」
ガチャリと扉が開く音がしてシャルルは飛び跳ねる。心臓もバクバクといっている。二人が部屋から出てきたようだ、エレベーターの方へ向かおうと足を早めた。
「そういえば、新しい研究の方はどうだね?」
「もう実験段階ですよ。うまくいけば、先生にもご報告を差し上げます」
