5.1 星天の声

 星祭りの一週間前となり、いよいよ学園内が賑やかになってきた。模擬店を出せる上級生は、休みの日はもとより、授業の間の休み時間を使って用意をしているし、出し物をする予定の生徒たちが空き教室で練習をしている風景がよくみられるようになった。生徒たちは皆、この二ヶ月ほどで起きた事件のことなど全く忘れた様子で楽しんでいるし、ポーラの事件についての噂は二日と経たずに秋風と雨に消えた。
 学園祭前の生徒たちの様子に、シャルルはアルカンナ島の風景を思い出していた。ホームシックになる暇もなく多くの物事が起こり、混乱しつつもシャルルはラナクス学園に慣れてきている自分に気がついた。そういう考えに耽っていると、窓の外から声が聞こえてくる。
「シャールルー! ヴィンスー!」
 防寒のために二重になっている窓を開けると、冷たい風と共にウィルの声が響いてくる。先ほどまで窓を叩いていた雨は止んでいるようで、傘を持たずマントを被ったウィルが大きく手を振っていた。シャルルが手を振りかえすと、その横からヴィンスも顔を覗かせた。
「迎えにきた! 図書館行こー!」
 ウィルもポーラの件についてはショックだったそうだが、「寝たら大丈夫になった」と言ってシャルルたちに笑顔を見せていた。この日は、モーリスが図書委員として図書館にいる日で、ウィルもシャルルたちと一緒に行くことになっていたのだ。彼らは「神話に関連する資料を見たい」と言う理由で、ディキンズ先生から図書館の制限付き書棚の閲覧許可証をつい先日もらったところだ。
 シャルルとヴィンスはジャケットを羽織り、マントをきて寮の外へ早足に向かった。寮の扉を開けると冷たい空気にシャルルは肩を振るわせた。マントの保温魔法のおかげで寒すぎることはないが、南の温暖な島で育ったシャルルは王国北部のニウェースの気候にまだ慣れない。
「雨、止んでよかったね。シャルルが凍えてしまう」
 びゅうと吹いた風に顔を顰めるシャルルに、ヴィンスが笑いかけた。
「もうすぐセーターがいるね……」
「うんとあったかいのが購買で売ってるはず。今度それも見にいこうよ」
 ウィルがシャルルのそばに立って手をかざしてそう言った。突然、温かさがマントの内側にゆるりと流れ込んでくる。まるでウィルの手がヒーターになっているような気がして、シャルルは不思議そうに首を傾げる。
「ねえ、ウィル、何かしてる?」
「寒いんだろ? ちょっとでもあっためてあげようかなって」
 得意げな顔をしたウィルの言葉に気がついたようで、ヴィンスも彼の隣にきてシャルルにかざしているのと反対の腕を掴む。驚いた表情のウィルとは反対に、ヴィンスはどこかいたずらっ子のように笑うと頷いた。
「いいな。サナティオの能力でいつでも適温になるというわけか」
「俺で暖取ろうとしてるなー? ま、いいけど!」
 シャルルとヴィンスでウィルを挟んで、風を避けつつ笑いながら、彼らは北棟の図書館へと向かった。

 校舎に入ってしまえば、心地よい室温に管理されている。シャルルとヴィンスから両腕を解放されて、魔力を使って少し疲れたふうなウィルが図書館の扉を両手で押して開けた。
「君たちくっつきすぎだよ。すっごい歩きづらかった」
「ありがとう、凍えずに済んだよ」
 ウィルは大袈裟にため息をついて文句を言ったが、シャルルが笑って礼を言うと、恥ずかしそうに肩をすくめた。横でヴィンスも微笑んで「僕もウィルみたいな魔力が使えたらよかったんだけどな」とこぼす。
「温風を出すみたいなことできないの?」
「はは、それができたら苦労しないな。僕はただ風を起こせるだけだから、温度は変えられない」
「魔法でも色々あるね……僕も何かできたらいいけど」
 ウィルやヴィンスのように目に見えてわかりやすい魔法を使える友人がそばにいると、ただ星を読むことができたり、神の声のようなものが聞こえたりすることが何かの役に立つとは思えなかった。
「何かできるから偉いってわけでもないでしょ」
 声に振り向くと、入り口のカウンターから気だるげな表情のモーリスが出てきた。手には鍵束と前に見たものと同じ熊のぬいぐるみがあった。ぬいぐるみの手は上下にリズミカルに揺れている。
「許可証は?」
「あ、あります」
 シャルルはジャケットのポケットからディキンズ先生のサイン入りの許可証を取り出してモーリスに渡す。無言でそれを受け取ると、モーリスはそのまま図書館の奥へずんずんと歩いていく。シャルルたちは一瞬顔を見合わせてから急いで彼の後ろを追った。図書館はあらゆる大きさの本があるべき場所に戻るために空中を飛び交っているため、シャルルたちはぶつからないように気をつけつつ、早足で進むモーリスを追いかけなければならなかった。モーリスは図書委員で慣れているのか、器用に本を避けていきながら、シャルルたちを気にすることもなく進んでいく。
 前にモーリスが本を積み上げていた一番奥の閲覧室にたどり着いた時、シャルルは軽く息を切らしていた。彼よりも体力があるウィルと、普段から少し早足なヴィンスは何ともない顔だ。モーリスは鍵束から迷うことなく一つを選び取って、厳重に閉じられている扉の鍵穴に差し込んだ。前回来た時にはシャルルが気づかなかったが、扉には「閲覧制限」と書かれていた。ガチャガチャという歯車が噛み合う音が止まった後、モーリスが扉をゆっくり通して開けた。蝶番が軋む音に思わずシャルルが耳を塞いだ時、モーリスが振り返った。
「で、何のデータを調べたいんだっけ?」
「『星天の声』と過去の天体異常現象についてです」
 ヴィンスが先に答えるとモーリスは熊のぬいぐるみを空中に浮かべて、腕を組んでシャルルたちを見た。
「神話・教会関連については千四百二十番台の棚、天文学関連については千五百番台の棚。それ以外の棚の閲覧は禁止。その子が見張ってる。入室可能時間は一時間だけ。あと、貸し出しはできないから、その場で読んで元の場所に戻して」
「モーリスは一緒に探してくれないんですか?」
 ウィルが手を挙げて尋ねると、睨みつけるような目線を向けてモーリスはため息をつく。
「あのさ、僕も暇じゃないんだよね。自分たちで探して」
 そう言い残してモーリスは前と同様に閲覧室の椅子に座って本を読み始めた。鍵を開けて棚の番号を教えたことで自分の仕事は終わりだと言わんばかりのモーリスの様子にシャルルたちは顔を見合わせた。すると、シャルルの頬をふわふわとしたものが触れる。軽く飛び上がってシャルルが振り向くと、先ほどモーリスが手を離した熊のぬいぐるみが本棚の奥を指し示している。違う色のボタンが目になっているぬいぐるみは、愛嬌ある仕草でシャルルの服を引っ張る。どうやらシャルルたちを案内してくれるようだ。再び顔を見合わせた彼らは意を決して、暗い閲覧制限室の扉の奥へと進んでいく。
 本棚にはそれぞれ番号だけが振られていて、どんな本があるのかを知るにはそれぞれの本の背を見る以外の方法がなかった。一般閲覧室とは違って、どの本もあるべき場所で眠っているように静かだった。
「なんか、不気味」
 ウィルがつぶやいてシャルルも頷く。天井からの淡い光の他に灯りはなく、埃っぽい書棚同士の間は暗い。ぬいぐるみは灯りを頼りとしていないようだが、迷うことなく進んでいき、時折シャルルたちがきちんとついてきているか確認するように振り返って揺れている。
「こんなに閲覧制限のある本があるんだね……」
 歩きながら両脇の書棚に並んでいる本を見てシャルルが言うと、ヴィンスが頷いて応える。
「学園と、研究院の図書局だけが所有している本がここにあるらしい。王国中を探しても無いような危ない本とかもあるみたいだけど」
 ふと横を見るとシャルルは鉄格子が嵌められた棚を見つけた。ここにも鍵がかかっているようで、厳重に保管されているらしい。ヴィンスが言った危ない本はこう言う場所に置かれているのだろうかと思っていると、ぬいぐるみが止まった。ぴょこぴょこと跳ねて、「千四百二十番」と書かれた棚を示している。
「ここに神話とか教会の本があるみたいだよ」
 シャルルがそう言って棚を見ると、『ニウェスアール古代神話』や『神代記』などと書かれている背表紙が並んでいる。彼が立っている周囲の本棚はほとんどが教会や神話に関連するものだと言うことがわかった。少し先を見に行ったウィルが天文学の棚を見つけたと手を振る。ヴィンスがそちらに頷いて応えると、シャルルに向き直った。
「手分けして見ていこうか。シャルルは教会の方の棚を頼む。僕はウィルと天文学関連の本を探してみる」
「わかった。僕は『星天の声』について調べてみる」
 ヴィンスとウィルと分かれて、シャルルは本棚を見上げた。敷き詰められた本の背表紙を見るだけで探すのは気が滅入りそうだったが、少しずつやればいずれ何か見つかるだろうと気合を入れてシャルルは一つひとつ本を開いていった。
 途方もない数の本を読むでもなく眺め続けていたシャルルは首が痛くなってきて、手に取っていた『科学で見えない神話の真実』を閉じた。首を回して、軽くストレッチをしているとふと目に入った銀文字の背表紙。見るからに古そうで、栞紐がボロボロになって本棚から飛び出していた。数段上にあったそれを取るために、近くに立てかけられていた梯子を持ってきて慎重に登る。背表紙には『星天からの使者』とのみ書かれていて、著者の名前がない。
「これ、持って降りられるかな……」
 思ったよりも高さがあることに加えて、本自体も重そうだったので困ってシャルルが呟くと、熊のぬいぐるみが飛んできてシャルルの様子を見ている。
「……君が、手伝ってくれるの?」
 半信半疑に尋ねてみるとぬいぐるみは両手を上げ下げして答える。どういう意図なのかはわからなかったが、シャルルの言葉を待っているようにぬいぐるみは浮遊している。
「えっと……じゃあ、この本を取ってくれる?」
 梯子から落ちないように片手でしっかり捕まりながら、もう片方の手で目当ての本を指さす。すると、ぬいぐるみは合点したというように空中で一回転すると、重そうな本を引き抜いて下の方の取りやすそうな段に置いてくれた。
「ありがとう、力持ちだね」
 シャルルがそう言いながら梯子を降りると、ぬいぐるみは自慢げに短い腕を組んで反り返ると、再びウィルやヴィンスの方へとふよふよと飛んで行った。
 ぬいぐるみが置いてくれていた本は表紙も銀文字でタイトルが書かれていた。表紙に装飾はなく、黒い布張りで、あちこちが経年劣化でほつれている。分厚い表紙を開いて目次を確認すると、「神々の呼び声」という章題を見つけた。もしかしたら、何か関連する事柄が書いてあるのかもしれないと思って、ページをめくっていく。誰かが読んだ形跡がなく、ところどころ印刷したての本のように紙がくっついているページもあったし、折ったり書き込んだりしているページも当然なかった。不思議な気持ちになりながら、該当の章に辿り着いたところ、シャルルは息をのんだ。

 神々の呼び声、また星天の声と呼ばれる現象は、限られた魔法使いにのみ聞こえる星天界からの神託と考えられている。この神託を明確な言語として聞くことができるものは、星々の魔力を使う魔法使いに限られており、さらにその中でも卓越した星読の技術があるものだけである。この能力は遺伝せず、同じ星々の魔力を使う家系であったとしても、神々の呼び声を聞くことができる魔法使いが生まれる確率は低いと考えられる。母数が少ないために科学実験を行うことが困難であるため仮説の域を出ないものではあるが、恒星の放つ電磁波を受け取っているという考え方もある。その一方で、神話的解釈も支持されてきている。
 この神託の内容は王国国家機密と同等に扱われ、中央教会寺院が現在まで記録を厳重に保管しているため、内容を確認することは中央教会寺院に勤めている、神々の呼び声を聞くことができる術僧及び主卿に限られる。しかし、神託そのものはミラトア王国内で観察されるあらゆる神話に登場していると考えられる。本書は神話と星々の能力を主題としてこれまで論じてきたわけだが、本章では神々の呼び声という神託が神話においてどのような立ち位置であったのかを考察する。
 まず、王国内で最も知られている神話のうちの一つである、天帝と星々の能力の始まりについての物語を思い出していただきたい。この神話は、「暗色の皇帝」とも呼ばれる闇夜と混沌を支配する神々の神である天帝と、その弟神である「光明の王子」と呼ばれる光と太陽を支配する神が、星々の管理をするために人々の力を借り、特別な魔力を授けるというものだ。この際に生まれたのが、星々の能力と呼ばれる魔力であるというのが通説である。天帝たちとの交流をするための能力を与えられたと考えられるが、その能力のうちの一つに神々の呼び声、つまり神託を聞くことができるものが含まれていると推測できる。また、教会についての文献では、「シエロの魔力を持つものは神々の使者である」(ヴァンドローチェ 土星期D二〇九年)という記述が散見されていることからも、星読を含み神々に関わる魔法を使うことができる星々の魔力を持つものたちは、神託を得ることも当然可能であろうと考えることができる。
 天帝の神話においてもう一つ重要なものが月の乙女に関するものだが、ここにも神託と考えられる表現がある。例えば、『ニウェスアール古代神話』においては以下に引用するように、神々の呼び声を聞くことができる人間によって、月の満ち欠けというものが時の進みを示していることが神々から人へと伝えられたことがわかる。
…月の乙女はさめざめとお泣きになった。離れゆく光の王子を大変恋しく思っていた月の乙女は我々の星を影にして顔を隠してしまわれた。夜の光のなくなったことに慌てた人々は、星の使いの元へと尋ねにいった。星の使いは「慌てなさんな」と、天帝から頂いた書物を取り出して見せると人々を宥めた。星の使いは、月の乙女が満面に笑む時と、悲しみに顔を伏せる時があり、そしてそれは繰り返されるものなのだと人々に伝えた。
 天帝からの書物はおそらく神託を書き留めてあるものと考えられるだろう。そしてここで「星の使い」と表現されているものは、神々の声を聞くことができるものは先述のヴァンドローチェの例と同じく神々の使いと考えられているわけである。二つ目の神話の例からはそういった特別な人物は村の賢者のような立場のように扱われていたこともあり、そのような賢者たちが教会を形成し大きくしていったという考えもあるが、星々の能力と教会との関連については本書ではこれ以上扱わないことにする。

 難しい言葉遣いに目が回って、一度本をおいてシャルルは考えてみるが、ディキンズ先生のいうように星天の声は限られたシエロにしか聞こえないということはこの本にも書かれている。それ以外にここで初めてわかったことといえば、ほとんどは教会が情報を保管しているということと、星天の声が聞こえる人は神様の使いと考えられているということだ。
「なんか見つかった?」
 考え込んでいたシャルルの肩をウィルが叩く。
「うん、ここに星天の声について書いてあるんだけど、授業で先生が教えてくれたことと似てるんだ。それに言葉が難しくてよく入ってこない」
 どれどれと言いながらウィルがシャルルの手元を覗き込んで読んでいる。二人で難解な表現に頭を捻りながら読んでいたところ、ヴィンスが向こうの本棚から声をかけてきた。
「二人とも、ちょっと来てくれないか」
 シャルルとウィルは棚に本を戻してから、ヴィンスのところへと近寄る。彼は三冊ほどの本を開いたまま腕を組んでいる。
「僕はディキンズ先生が教えてくれたことしか見つけられなかった……」
 そう言いながらシャルルは本を覗き込んだが、さっぱり訳がわからない用語の羅列に見えてまた目を回した。ヴィンスは本から顔を上げると、ウィルとシャルルの顔を見て口の端を上げる。
「星と月の見え方については見つけた。ここにある本をまとめると、星の見え方が通常と違う時は、上空の天候が原因ではなくて、星の所有者が変わった証らしい。シャルルと僕が見たペガスス座の星があり得ない色に見えたってことは、その星の守護神が別の神様に変わったということだと思う」
「それで、何か起こるの?」
「どの神様が関わっているかで違っているはず。月の見え方が異常な時には、虚国関連の事件が多いらしい」
 ヴィンスは一番大きな本のページをめくってグラフを指差す。シャルルには読み方がわからなかったが、「表:月の変化と過去五十年間の事件発生数」と書かれていた。ウィルもそれを見て、何かを思い出したように手を叩く。
「あ、それなら俺も神話の演劇でみたことあるかも。月の乙女は魔物の力を左右するっていうやつ。狼人間(ヴェアヴルフ)とか吸血鬼(ヴァンパイア)とかさ」
「じゃあ、月に異変がある時は、魔物に影響があって、何か事件が起こることがあるんだ」
 シャルルがそういうとヴィンスは頷く。
「……君たちがそういうのが見えるってことは、何か神様たちが危険を教えてくれてるってことなのかな」
 ウィルの言葉を最後にシャルルたちは考え込む。沈黙が彼らの間に流れたが、それをかき消すモーリスの「そろそろ閉めるけど」という言葉とともに三人は調査をやめることになった。

◇◇◇

 授業もない休日、学園の廊下を一人で歩く少年の目は虚ろだ。手にしたものを睨みつけた後、それを窓から投げ捨てて溜息をつくと、向かい側からやってくる上級生を見上げる。背の高い上級生は青色のネクタイを締めており、隣には同じネクタイをして、楽器のケースを肩に担いだ生徒が一人。少年は軽く舌打ちをして、足を止めた。
「……わざわざ別の寮生に何の用だよ」
 彼の言動に怒った様子もなく、背の高い上級生は優しげに微笑んで首を傾げる。
「ダンとキースから、君がマスターの言うことをあまりに無視していると聞いて。何かあったのか」
「別に、無視してるわけじゃねえ」
「今もマスターが渡したものを捨ていた。ほら、ちゃんと持っていなくちゃ」
 楽器を背負っている生徒は窓の外に手を翳して、先ほど投げたばかりの小さな巾着を魔法で引き寄せると、少年の手に押し付けるように渡す。嫌々ながらもそれを受け取って、トラウザーのポケットに雑に突っ込むと、少年は踵を返す。
「そもそも、俺はお前たちとは状況が違う。あの人はただ……」
「関係ない話だ。マスターからの恩恵を受けておいて、それを仇で返すのか?」
 背の高い生徒は冷たく少年の背中に投げかける。
「できる奴がやればいいだろ」
 吐き捨てて早足に地下へ続く通路へと消えた少年を追うことなく、上級生たちは顔を見合わせる。
「結局、僕ら五人が何とかしないと行けなさそうだね、カイル」
「そうだね。……シャーリーはまだ小さいから負担はかけられない。トーマは一人でも大丈夫だな?」
 楽器のケースを背負い直し、トーマと呼ばれた生徒は肩をすくめる。
「大したことない。この前だって、使う相手が悪かっただけ」
「そうだな。マスターもそのことには怒っていなかった。……次の仕事はダンとキースに任せるらしいから、二人のところに行ってくるよ」
 背の高い生徒、カイルはトーマの背を軽く叩いて西棟へと向かっていくた。
「カイルも、無理しちゃダメだ」
 答えの代わりに片手をあげたカイルを見送って、トーマは美術塔へと足を向けた。

タイトルとURLをコピーしました