8.2 白樹の裁き

 今まで聞いたこともないジュネット先生の怒号に、シャルルとヴィンスは足がすくんだ。シャルルは震える右手をペンデュラムへと動かし、自分自身を支えるように、ばらばらになりそうな自分の心を掻き集めてどこかに行かないようにそれを掴んだ。
「……父さんが、何をしたというんですか」
 絞り出したシャルルの声に、ジュネット先生は土気色の顔を向けた。ふらついたジュネット先生を、ケインズ先生が支えて何か小声で耳打ちする。
「喧しい……リーヴスも、父を殺した王国軍どもも同じだ」
 ジュネット先生が呟いて一歩踏み出す。明らかに様子がおかしい。シャルルは左手で掴んでいるヴィンスの腕を引き、一方下がる。ロイも二人の方へとゆっくり近づいてくる。
「僕の父さんは、ただの医者で、研究者でした。ジュネット先生の相談にも親身に乗っていたと聞いています」
 慎重に言葉を選んでシャルルはジュネット先生から目を離さないようにした。ふらり、とその体が浮遊するように一歩ずつこちらへ歩いてくる。落ちる影と足元が同化するように黒い靄が掛かっていく。
「違う……リーヴスは何も理解していなかった。父の苦しみも、私たちの苦しみも、平等な世界も」
 ジュネット先生は床を見て自分の足元を認めると、ふっと諦観のようなものを映し出した笑みを浮かべる。
「魔物たちへ、我々へおこなったことはなんだ? ただ姿形が違うだけで、能力が違うだけで、これまでの歴史が見せてきたものはなんだ? 私の父が望んだ、平等な世界を作るための教育は、学問は、なんのためにあると思う? お前らも、ここを一歩外に出ると、魔物と同じ扱いを受けるのだ。魔法を使うことを異端としてきた外の人間たちがいる、それすら歴史から学ぶことをしないのか。小さな世界で威張り散らしているお前らは、私のように全ての力が使えもしないのに、それでいい気になっている……馬鹿馬鹿しい」
 吐き捨てるように言い切ったジュネット先生は、クラウス先生の支える腕すら振り切って、銀の装飾が輝く杖を取り出した。それを見たロイが急いでシャルルとヴィンスに走り寄って二人に耳打ちする。
「月が隠れた。暴走する」
 シャルルが上を見上げると白く輝いていたはずの月は、赤黒く光を失って見えた。
「どういうことだ?」
 小声でヴィンスが尋ね、トーンを落としたままロイは答えた。
「あいつら魔物は月と太陽に支配されてる。月蝕の時は地球の影になって二つの力が弱まる」
 シャルルは再び視線と注意をジュネット先生へ戻す。踏み出す足は黒い煙のようで実体がない。
「リーヴスはお前に他にも残していないか? ん? 私の研究を邪魔するためのものだとか、能力向上薬に必要な文献だとかそういうものを」
 ジュネット先生の目は虚ろにシャルルをとらえた。
「いいえ」
 シャルルは震える声で、なおはっきりと答えた。ジュネット先生の考えを理解しようとして、どうにかしてやれないかと悩んでいた父のことを思うと、シャルルの手はより強くペンデュラムを握りしめた。ここで自分が向き合うしかないのだ、父の代わりに。
「薬を作ることは危険だと、あなたの進む道が危険だと、それを父は心配していました」
 ジュネット先生のシルバーの長い髪が暗い中だと、彼をよりやつれさせて見せた。
「必要なことだった。これからの子供たちが傷つかないために」
「何から守れるというんですか?」 
 ヴィンスが口を挟む。シャルルが掴んでいた方の腕をヴィンスはそっと離して、手を繋ぎなおす。
「悪意あるものたちから。比べることを強要するものたちから……能力があれば、比べられるより高みへ行けるだろう?」
「強者であることが平等への道だと?」
「そうだ。現にロイ、グレイ、お前たちはそれを感じているはずだ。家という大きな後ろ盾、能力という地位すら凌駕できるもの、お前たちが頼り縋っているのはそれだろう? その恩恵を受けておいて、私の研究は理解できないか?」
「詭弁だな」
 ロイが舌打ちをする。ヴィンスもそれに強く頷く。シャルルはどうにかして平和的な解決ができないかと考えを巡らすが、その願いも虚しく、ジュネット先生は杖を振り上げる。
「お前たちの魔力は非常に魅力的だが……もうこれ以上共にあれないというのであれば、こうすることも、致し方あるまい」
 呪文を唸るように呟くと同時に、地面の石畳の割れ目からいくつもの草花が生えてくる。それ自体が一つの魔物であるかのように、うねり、波のように襲ってくる。ロイがシャルルたちの腕を引っ張る。
「植物に触れるな! 毒だ!」
 ヴィンスは咄嗟に風を起こし壁を作り、ロイがそれで火力を増した炎の塊を目の前をうねり迫る植物の波にぶつける。シャルルは倒れたままのウィルたちに火の粉が及ばないように注意をしながら、ジュネット先生をまっすぐに見る。
 赤い燃え盛る炎と焼け落ちていく草花との攻防を間に、シャルルとジュネット先生は対峙する。
「ジュネット先生、あなたが僕の父さんを殺したんですか?」
 ゆっくりと首を横にふるジュネット先生。
「私が手を下したわけではない。だが、私たちの仕事を遮った軍に制裁を行なったまで」
「先生の仕事は、人を傷つけてまでするものなのですか?」
「正義のためだ。本来平等に扱われるはずの命を、軽んじているのはどちらだ。一方的に蹂躙されるのはいつも魔物たち、我々だ」
——怯んではならない。対話を続けるんだ
 シャルルは父がそう言うだろうと信じて、ジュネット先生から目を離さない。
「正義のためだからと言って、誰の命を奪ってもいい理由になんてならないはずでしょう?」
 シャルルの問いに、ジュネット先生は目を閉じて頷く。
「その通り。ああ、これが哲学の試験なら満点を付けたのに……だが、ひとつ間違いがある。いつ、私が人を傷つけたと? 彼らを助けたと言うのにか? 私の大切な子供たちは、差別や生の苦しみから解放されたんだ。大いなる学問の支えとなって、彼らは救われた。これほど素晴らしいことはなかろう」
 腕を広げる彼の足元に、カイルとトーマが動物の姿へと変わり、シャルルたちを睨みつける。
「あなたが決めることではないはずです」
「そうか? お前もシエロの差別に苦しんでいるはずだ。この醜い世界に生きるのは辛いだろう? 苦しみから逃れたいと思うだろう? 同じ立場にいる私たちが代弁するんだ、同じことではないか?」
 ゆらりと、陽炎の中にジュネット先生が消えるように姿勢を崩した。
「クイン!」
 ケインズ先生が叫んで近づこうとするが、ヴィンスが作った風の防壁で叶わない。
 止めようとするヴィンスとロイに首を横に振り、燃え落ちた植物の灰を踏み締めてシャルルは炎の中ジュネット先生へと近づく。ロイとヴィンスはシャルルに毒の植物が近づかないようにすることで精一杯で、彼の歩みを止めることはできない。
——これ以上、誰にも傷ついてほしくない
「同じではありません。傷つくことと傷つけること、それは別物で、先生は自分の苦しみを言い訳に、他人の命を軽んじた。それは、許されないことです」
 シャルルは自分の中に、静かに、そして確かに暖かな魔力が湧き出でるのを感じた。倒れたウィルたちが火傷しないように、水滴でドームを作った。今ならどんなことでもできる気がした。シャルルの進んだ道の後に、白い花が咲いていく。毒の花を浄化するような、可憐に咲く白いマーガレット。
——父さんが、自分で考えて、自分を信じろと言ったから
「なぜ、私たちを苦しめる……なぜ、魔物ばかりが傷つかなければならない? 父さんが目指した平等な世界を作りたいだけなんだ、それを邪魔するものを排除するのは何が悪い……」
「それでも!」
 シャルルは自分の涙を拭いながら、ジュネット先生に一歩ずつ近づく。警戒したカイルとトーマが唸り声を上げ、シャルルに飛びかかろうとする。シャルルの周りを風と雨が壁のように護る。
「僕の父さんは、帰ってこない! あなたのお父さんも帰ってこないんです!」
 蜃気楼のような、霞のような姿に変わってしまったジュネット先生は、小さくうずくまっている。杖を握りしめたまま、幼い子供のように震えている。
「父は、ずっと、あなたを止めたがって、いました」
 しゃくりあげながら声を絞り出す。
 ジュネット先生は顔をあげ、振り乱した髪を掴んで呻くように呟く。その姿が段々と形を得ていく。
 涙を拭きながらシャルルは顔を上げた。蝕が終わったのだ。
「私は……」
 虫の鳴くような声で、ジュネット先生は呟く。
「……私は、愚かな軍人どもと同じことをしていたのだ」
 遠くから足音がする。振り向けば、ディキンズ先生を筆頭に、先生たちが走ってくる。
 それを認めると、ジュネット先生は目を伏せ、己の杖を壊した。 
「連れてゆけ。どこへでも……」

 ◇

 学園の地下道は一度その全貌を先生たちの手によって調査された上で、新たな学園の設備として使われることが決定した。シャルルたちはそこで起きたことを決して口外してはならないと、学園長と副学園長に懇々と伝えられた。
 万一のことがあればいけないとして、倒れていたウィル、ラデク、エミリアが入院することになった中央病院の特部へと向かわされた。ロイは嫌がって一緒に来ることはなかったが、ウィルが言うには、ラデクとエミリアがいる病室から出入りするのを見たと言っていた。
「ウィルはもう大丈夫なの?」
 シャルルの母が入院していたのと同じ病室にきた。何度も来て慣れているけれど、今日はヴィンスもいるし、ウィルがベッドで退屈そうに座っていた。
「俺はもう、ぜーんぜん大丈夫。すんごい眠いだけで、それ以外は超元気なんだけど、先生が一週間は経過観察しないといけないってさ。違法な薬使われてたからって」
「災難だったな、僕ら全員」
 ヴィンスがため息まじりに言い、シャルルもウィルも無言で頷く。
「あの人たちは、魔物が家族だったんだろうね」
 ウィルが腕を組んでそう言った。シャルルたちだけでなく、連れ去られてしまっていたウィルたちも含めて、あの場に居合わせたものたちに後々伝えられたのは、ジュネット先生とクラウス先生は王国の機密裁判にかけられて、有罪判決を受けたらしいと言うことだ。ヴィンスが言うには機密裁判などの最重要裁判で有罪判決を受けた場合、無期懲役かあるいは、門戸から王国を追放されるらしい。職員に捕まらずにあの時は逃げたカイルとトーマは学園を退学になったが居場所がわかっていないらしい。そして、仲間と思われるもう一人の学生も姿をくらましたと言う。
「多分、虚国に戻ったか、戻れずに死んでしまうかのどちらかだろう」
 ヴィンスはベッドに広げてある新聞のページをめくって今日の天気を見る。雪の多いニウェースの冬にも関わらず、今日明日と晴れが続くらしい。天体予報も異常なし。
 ウィルにも見せようと持ってきた父の日記を膝の上に抱えて、シャルルは呟く。
「父さんが望んだように、僕はできたのかな……」
 ヴィンスが新聞から顔を上げて微笑む。
「少なくとも評議員として、君は学園にとても貢献したよ、シャルル」
 

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