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海は好きだ。冷たい水をたくさん揺り動かして、その向こうには見ることもない国がある。魔法の使えない人々がたくさんいるそうだ。見ることは叶わないけれど、空想をするにはもってこいの場所だ。
「わたしには、なんにもない」
呟いていつもは使わない魔法を使ってみる。貝殻をあつめて、小さなお星様をたくさんつくる。雪と一緒に宙に浮かべてみたり。氷のドームに貝殻を飾ったり。
「綺麗な魔法だね」
男の人が私に話しかけた。振り返ると、黒いシャツに黒いジャケット、黒いコートに白いネクタイをしたひとが青白い顔で私を見つめていた。歳は私よりも上だろうが、整った顔をしている。
「ありがとうございます」
「おや、あなた自身もお綺麗だ」
にっこりと笑った男はさくさくと砂浜を踏みしめて私の方へ近づく。
「お上手ですねぇ」
「思ったことを言ったまでですよ。……氷の魔法?」
私の作ったものをみて、尋ねる。
「結晶化です。色々な物質をあつめて。……氷が得意ですけどね」
「素晴らしいね。……しかし、こんな夜の海辺に可愛いお嬢さんおひとりは感心しないな」
「お嬢さんという歳でもないですよ」
「おや、それは失礼。いいものを見せていただいた。お礼にこちらを」
そう言って男はコートのポケットから本を取りだして、広げ、赤い薔薇を一輪そこから生み出した。文字を物体にするとか、そういう能力だろうか。
「…わあ、すてき」
受けとって花びらに顔を近づけると、柔らかな薔薇の香りがした。
「お気に召されたならよかった。……この辺りは危ないので、早くお帰りになるといい。それがお守りになりますよ」
ああ、この男はこのあたりの警護の人かとその言葉に納得する。
「危ないとわかってきているんですけれどね……」
本当は、何かが起きて、私のこの生活が終われば良いとおもって来た。この当たりは魔物、すなわち虚国のもの達が通るかもしれない門が近いらしく、危ないというのは、地元の人間なら誰しもが知っている。特に夜は、人攫いにも会いやすい。
「何か理由でも?」
男は私の言葉に首を傾げる。
「……この生活が終わればなって、思ったんですけど、まあ、そんなことはないですね。ありがとうございました。これ。警備のお仕事邪魔しちゃい」
「終わらせますか?」
男は私の言葉をさえぎって微笑む。
いつか見た絵に描かれていた、精霊の微笑みを思い出した。
「……え?」
「私は警護のものではありませんよ」
ぎらりと、青い目が赤く光る。黒い手袋をはめた手を伸ばして、わたしにむける。
「今の生活を終わらせたいのなら、私の元へ。帰る選択もありますが、その場合二度と貴方の目の前には現れないと約束します」
「あなたはだれ」
「……私は血を喰らうもの」
影が蝙蝠のように男の足元にぶら下がっている。私は、ゆっくりと、足を動かした。さく、さく、さく。
「この世に別れを告げられるのね?」
「……そうですね」
男が微笑んだとき、私は自分の手を彼の手に重ねた。
「良い子だ。アンジュ」
「……なぜ私の名前を」
呟いた時には私の首筋に深く牙が突き刺さった。
◆
痛み、悲しみ、暗い暗い時間と、私のお星様が光っている夜の時間が満ちていた。
やりすぎたかな、という不安げな声がそよそよと頬を撫でる。
「んん……」
身じろぐと自分が誰かに抱えられているのがわかって目を開けた。
「あ、よかった……おはよう」
目の前に男の顔。私を抱えているのはこの男か。
「え、なんで、下ろして」
「あっ、ちょっ、暴れないで、落ちて死ぬよ?!」
「は?」
ぎゅ、と力強く私を抱きかかえ、男は慌てて言う。
「まだ通り道にいるから、少しだけ辛抱して。着いたら降ろしてあげるから」
「通り道……?」
「君たちと俺たちの宇宙を繋ぐ道だよ…ご覧、右側にボイドがある。あそこに落ちれば何もかもが無くなる。魂すらも」
「どういうこと……? てか、貴方何者なの? 私死んだんじゃないの?」
「あーあー、質問は一個ずつにして。……あ、そろそろ出口だ、俺の首に手を回して。しっかり掴まってなさい」
「え?」
言われるままにする。古い本と木の香りがした。
真っ暗になったと思えば今度は辺り一面光におおわれた。
「ぎゃーーー!!!?」
浮遊感と落下している感じがして目をつぶってしがみつく。
「よし、到着。もう大丈夫だよ、アンジュ」
私の名前を随分も前からの知り合いのようにいうな、と思いつつ、ゆっくり目をひらく、と、見たことも無い景色が広がっていた。空を飛ぶ遊覧船。紫色の街灯に、見たこともない建物、道、花、ひと……ひと?
「欠損もなし。上々の出来。……降りたいんじゃなかったですか?」
しがみついたままの私に微笑むので、慌てて手を離した。優しく地面に下ろしてくれた。
「気持ち悪くない?」
私が首を横に振ると頭をポンとなでる。
「さて、ひとつずつ先程の質問に答えよう。私の名前はサヴィエ、そちらの世界で言う吸血鬼だ。君は死んだのではなく、さっきは俺の魔力で気絶していたんだよ。それから、何だったかな」
「……ここはどこ? どうして私の名前を知ってるの?」
「ああ、そうそう。ここは君たちが虚国と呼ぶ場所。君たちと鏡合わせの宇宙だから、ここも、君の住む街の反転した場所だ。存在するものは違うけれどね。それから、アンジュ、なぜ君の名前を知っているかって?」
サヴィエは私の手をとってそこにキスをする。
「前世から俺の花嫁になることが決まっているからね、顔を見ればわかるんだよ」
ぽかん、としていると、わはは、と顔に見合わず割と豪快に笑うのでどきりとした。
「ほんとに可愛いね。さ、屋敷へ行こう。詳しい話はそこで」
そう言って手を引かれるので歩いていく。やしき。どんなところに住んでいるのだろう。
繁華街らしき所なのか、飲食店のような所がたくさんある。キョロキョロしていると、サヴィエが私を引き寄せる。
「こら、よそ見をしていると転んでしまうよ」
子供に言うような言葉遣いで、私は何となくほわほわした気持ちになっていると、近くで大声が聞こえた。
「おめぇの頭ン中はお花畑かい!」
「う〜わ!またそうやって俺の頭をバカにするんだこのウシ頭!」
「君ら毎晩バーの前で喧嘩しないでおくれ……」
薔薇の頭と牛の頭をした人が口論になっていて、鹿の角を生やしたバーテンダーが困ったように店の看板をだしていた。
「どこに口があるんだろう…」
お花の頭の人の頭の中を花畑というのは悪口なのかな、とも思いながら呟くと、サヴィエがクスリと笑う。
「おもしろいだろう。ここにいるもの達は」
「不思議」
「そうか、不思議か」
