Quand, les deux yeux fermés, en un soir chaud d’automne
― Charles Baudelaire
夜、澄んだ空気は私を高い空へと押し上げる。
つい先日までは、この国特有の蒸し暑さに辟易としていたが、私の頬を撫でていく風は仕事を終えて火照った頭をちょうどよく冷やしてくれる。
近くに住んでいる老夫婦が、この地域で作られたというビールをくれた。それを缶から背の高いグラスに入れなおして、素焼きのクルミも小皿に入れる。母国のエールビールを思い出させる、さわやかな苦味の心地よさにため息が出た。
幼い頃は毎年来ていた祖母の家には今はもう私ひとりだけだ。音楽を愛していた祖父母の大切な古い日本製のアップライトピアノと蓄音機が、この家の時を停止さている。ここは、私が生きたかった時代に戻れるような気持ちにさせられる。それは、私が何も知らない少年だった時ではなく、祖父母が出会ったあの古き良き時代。特に懐古主義というわけでも無いのだが、心の中にある「黄金の時代(ゴールデン・エイジ)」に憧れを持つというのは、何も私に限ったことでは無い。
グラスを半分ばかり空けて一旦テーブルに置いて、ピアノの上にポンと放っておいた小さな箱へと手を伸ばした。
全く浮かれたプレゼントだなと思い、三日前の昼ごろに届いていたのだが今まで見てないふりをしていた。送り主の名は無く、代わりに猫か犬かよくわからないらくがきがあった。向こうも旅の途中で送ってきている。今はまた私が行かないような所にでもいるのだろう。奴はいつも各地からポストカードを送ってくる。インターネットが発達して、もちろん互いにメールアドレスなんかは知っているが、なぜか手紙だけは譲れないとそれはもう長い間送ってきているのだ。向こうからほとんど一方的にだが。日本にいることを伝えておこうと思い、メールで滞在地の住所を送っておいたら、案の定、郵送してきたというわけだ。
少し前まで、私の心は浮かれる隙などなかった。この時期というのはどうも精神に不調をきたし易く、何かあるとすぐにベッドに倒れこむような具合である。もちろん仕事を放り出す訳にもいかないので、帰宅後はほとんど気を失っていたと言ってもよい。
湿気も何処かに行き、美味いビールを呑んだとなれば、私の気分は奴のプレゼントを開くのには丁度いい浮かれ具合だと思う。適当に貼り付けられたガムテープをビリビリと破いて、中を見た。ポストカードの下に、布らしいものがビニールに包まれていた。
ふわりと、甘い果物のような不思議な香り。
広げると、それは薄手のストールで、私が使うには随分と可愛らしすぎるのではないかというデザインのものだった。ポストカードの方をきちんと見ると、そこには南国らしい青い海と熱帯の草花の写真がある。いつもの如く、メッセージが読みやすい几帳面な字で書かれていた。
〈濃い香りで、良い夜を過ごせる。おやすみ〉
ピアノの椅子を引いてそこへ腰掛け、ストールを鼻に近づけて胸の奥深いところまで、息をいっぱいに吸い込んだ。目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出すと、いくつもの層になった花々や果実の甘い香りが私の周りを包んでいく。
開け放していた窓から、冷たい風が暖かな匂いを吹き払う。しかし、そこに残った心地よい感覚は、陽の落ちていく静かな海に私を連れて行った。
暑いところは苦手だから、奴が送ってくる旅は良い。次はどこへ連れて行ってくれるものか。これはビールも進む。浮かれついでに、ひと月ほど前に置き去りにされた、日本の小さな線香花火でもやってみようかな。
(2019)