「また招集ですか?」
前回の評議会の集まりから一週間しか経っていないだが、終業後のシャルルとヴィンスの部屋へ監督生のクロエがやってきて「今から評議会だ」と告げにきた。先に食事を終えていたシャルルだけがその連絡を受けた。
「大至急。俺は他の学年を呼んでくるから、グレイと一緒にすぐに大広間へ向かってくれ」
「わかりました」
急いで出ていくクロエを追いかけるように、自分とヴィンスのマントを引っ掴んで自室を後にしたシャルルは、寮のカフェテリアに向かい、一人で静かに食事をしていたヴィンスに声をかけた。彼らは並んで駆け足に大広間へと向かった。空は重たく、どんよりと曇っている。
大広間の入り口でちょうどウィルとポーラに鉢合わせた。二人とも突然の招集にシャルルたち同様に驚いているようで、「なんのことで呼ばれたかわかんない」と口を揃えて言っていた。
広間にはすでに同学年で赤寮のリチャードとエミリア、上級生の評議員たちもたくさん来ていた。
「相変わらず、変わり者集団の寮は遅いな」
リチャードがシャルルたちが来たことに気がつき、これ見よがしに声を張る。呆れた表情のエミリアはリチャードをちらりと見ただけで一言も発さない。青寮のウィルとポーラも一緒に大広間に入ってきたものの、明らかにシャルルたち、ステルクス寮の二人に向けて言われていることはリチャードの目線からわかる。
「関係ない話をする暇があれば、手伝いでもしてくれればいいんだが」
溜め息混じりに赤寮の監督生、サマセットがリチャードの肩を軽く叩いて諌める。自寮の監督生が相手では分が悪いと思ったのか、苦笑してリチャードはそっぽを向いた。シャルルたちを気遣うように「寮ごとに集まっていてくれ」と声をかけるサマセットは後方に向かって手を挙げた。その様子にシャルルが振り返ると、クロエとノーランドが急足にやって来た。その後ろには見慣れない服装の、教職員ではないことは明らかな人が着いてきていた。
「みんな居るな?」
息が上がった様子もなく、クロエが厳しい目つきでその場を見渡した。手に持った資料の半分くらいの量をサマセットに渡すと、それをシャルルたち、評議員に配りながら話を続けた。
「今日集まってもらった理由を端的に言えば、生徒の誰かが教会の道具を破壊したそうだ。不審な動きをしている生徒がいないかこれまで以上に注意してほしい」
ざわついている他の評議員たちと同じように、シャルルも手渡された一枚の紙に目を落とした。大きな鏡らしきものが、何者かによって故意に破られているらしい。ノーランドが背後に立っていた人物へ目配せする。白を基調として薄紫色の装飾が入っていて、やけにヒラヒラとした服装の人物はラナクス学園の敷地内に建っている寺院から来た人物らしい。クロエが頭に被っているものとよく似た、平べったい帽子を被ったその人は、軽く会釈をすると手に持った大きな歯車のような形の道具を抱え直した。
「術僧のガーウェンです。急ぎですので、今から皆さんに教会へ来ていただきます。私の周りに集まってください」
一体何をするのだろうと首を傾げたのはシャルルだけだったようで、他の評議員たちはすぐさま動いたが、彼だけ出遅れた。ヴィンスがシャルルを振り返って小声で、「あれで転移するんだ」と教えてくれた。
「半径五メートル以上に出ないでくださいね」
ガーウェン氏がそういうとクロエが持っていた杖を一振りして、少し離れたところにいたリチャードを引き寄せる。バランスを崩したらしいリチャードの腕をエミリアが雑に引っ張ったのがシャルルに見えたが、ガーウェン氏が大きな音をさせて歯車を動かしたため、注意がそちらへと移る。金属が引っかかり合う音に顔を顰めると、転校初日にディキンズ先生が行ったようにシャルルたちの周囲に壁のようなものが出来上がっていく。今回は水はないが、代わりにシャルルたちの足元に大きな魔法陣が現れて、光の壁が彼らを包み込んでいった。
薄氷が砕けるようなしゃらしゃらという煌びやかな音と共に光の壁が崩れると、評議員たちはラナクス学園の北側、白樺の森の入り口にある白い建物の前に立っていた。
「……ここは?」
シャルルが思わず呟くと、ヴィンスがそれに気がついてまた耳打ちをする。
「学園寺院だよ。あっちが僕達がいた校舎」
ヴィンスが振り返ったのでそれに倣うと、遠くに学園の建物が見える。こう見ると複数の塔が集まって、一つの大きな塔のような形に見えた。学園では転移はできないはずだが、今回のような特別な道具があればできるのだろう。シャルルはヴィンスに小声で礼を言って、他の評議員たちと共に白い寺院の中へと入っていった。
シャルルは寺院の中の光景に息を呑んだ。建物内は外見でわかるよりも随分と広さがあるように思える。高い天井や正面の大きな窓が目につく。空が見える窓の前には祭壇らしきものがあり、よく見えなかったが何かが祀られている様子だった。ガーウェン氏と同じような服装の人々が二人ほどいるだけで、他に誰もいないようだった。彼らも術僧なのだろう、評議員たちが入ってきたのに気がつくと軽く会釈をして仕事に戻っていった。ガーウェン氏の後を歩いていく集団の一番後ろを着いていきながら、シャルルはヴィンスが説明してくれる言葉に頷いていた。
「ここは中央寺院の次にニウェースでは重要な場所なんだ。色々と祀られているのもそうだし……」
祭壇の前へと彼らが近づいてと再びそちらへと目を向けたとき、そばの柱の影に子供がいることに気がついてシャルルとヴィンスは目を丸くした。入ってきた時は大人以外に見えなかったのに、学園の生徒にしては幼い見た目の十歳ほどの子供が居たのだ。菫色の髪の、少女とも少年とも言えそうなその子は、背の高い机の端に座ってぷらぷらと足を動かしていた。シャルルたちの視線に気がついたのか、にっこりと微笑んだ。
「きみたちシエロだね」
若葉のような声でその子がシャルルとヴィンスに話しかけてきた。他の生徒たちはガーウェン氏と共に祭壇横の扉を通って別の部屋へとすでに入って行っていて、この子供には気がついていないようだし、ゆっくりと歩いていたために遅れているシャルルたち二人に向けて言っているのは明らかだった。驚いて彼らは目を見合わせると、怪訝な表情を浮かべてヴィンスが代わりに頷いた。
「やっぱり! きみたちがくるの待ってたんだ」
嬉しげな笑い声を上げると同時に、別の扉から誰かが出てきた。マントを何重にも羽織っているような重たそうな装束を着て、背の高い帽子をかぶっている男性。寺院の関係者なのだろうということは明らかだが、術僧の衣装と似ているようで異なっている。シャルルたちと子供が話しているところに気がつくと、その人物は呆れたようなため息をついた。
「フローラ、また遊んでいるのかい」
フローラと呼ばれた子供は、「しまった」という表情を浮かべて机から飛び降りると、逃げるように寺院の扉へと走っていく。その様子を再びため息と共に見送ると、男性はシャルルとヴィンスに向きなおり口をひらく。無表情だが声は柔和だった。
「評議員だね? こちらへ」
男性の後について、シャルルたちは他の評議員たちが既に居た別の部屋へと入っていく。そこには先ほど資料で見た鏡の破片が隅に寄せられ、鏡自体には白くて大きな布が被せてあった。シャルルたちは目立たないように、評議員の集団に紛れ込んで、ガーウェン氏が話す内容に耳を傾ける。
「生徒さんが犯人である可能性がある今、公安に調査をお願いして大ごとにする前に、皆さんの方で……ああ、カルマン卿。おいでになられましたか」
シャルルたちと入ってきた男性に気がついたガーウェン氏が、深くお辞儀をする。
「どこまで説明しましたか」
「ほとんど何も」
それを聞いて、ぼんやりしていて話を聞きそびれたわけではなさそうだ、とシャルルは胸を撫で下ろし、ガーウェン氏に変わって評議員たちの前に立つ男性——カルマン卿に目線を向けた。
「学園寺院主卿のウォレン・カルマンです。教会側としても大変心苦しくはありますが、監督生と評議員の皆さんにご協力願いたく、集まっていただきました」 表情を変えずにカルマン卿は言葉を続けた。
「すでに周知されているとは思いますが、先日この寺院で保管していた聖鏡が何者かの手によって破壊されていました。魔力の痕跡があったものの、教会が情報を保持しない異種の魔術道具が使われていました。また、この部屋の鍵は私とガーウェンだけが管理しており、他の職員の携行品は厳重に管理しています。他の術僧が行ったとは考えがたいと結論づけました。加えて、寺院に設置してある監視鏡の記録を確認したところ、学園のマントを着用した学生らしき人物の出入りがありました。したがって、学園の先生方との協議の末、評議会の皆さんにも再発防止のために協力していただきたいと思っています」
カルマン卿が一息ついたところで、評議員たちの間にざわめきが起こる。シャルルの耳には、学園内の窓やら花瓶はまだしも、これまで寺院のものが生徒に壊されたという事件は一切なかったらしい、と言うことが聞こえてきた。それに、授業や祭典以外に生徒が寺院に出入りすることは稀だ、と言うことも。
シャルルは身近に島の教会があったため、神聖な場所で何かが壊れる、壊されると言うことが非常に重大な事件であることはよく理解しているつもりだ。ゆえに、聖なる鏡と呼ばれているものがこの寺院にとってどれほど重要で、それを壊した犯人が正常な状態でないのだろうと言うことは想像に難くない。人々が大事にしてあるものを、傷つけ、壊すなんてことをした人は必ず罰を受けることになる、とシャルルが居た島の教会学校では散々聞かされてきた。
「再発防止、ということは、犯人を発見することが目的ではないと?」
ふと気づいたようで、クロエが軽く挙手をして尋ねた。カルマン卿はそれに頷くと、ガーウェン氏に目配せをした。それを合図にガーウェン氏は部屋の隅にある机から手のひらほどに二つ折りにされた紙を評議員たちに渡していく。
「左様です。犯人の調査に関しましては、未知の魔法道具が使われいることを考慮し、教職員の皆様と当寺院の術僧たちで行います」
「こちらが、監視鏡に残った記録による犯人らしき人物の情報です。先ほど、当寺院の術僧が解析を終えたばかりのものです」
シャルルとヴィンスは二人で同じ紙切れを覗きこむように見た。輪郭が朧げではあるが、マントのフードを被り、手には何かの道具を持っている後ろ姿が写し出されている。マントの淵を彩っている所属寮の色は判別できないが、シルエットだけ見ると学園の生徒と言って間違いはなさそうだった。
「認識阻害の魔術も使われていますね」
ノーランドが写真を傾けてあらゆる角度から見て言うと、ガーウェン氏は驚いたように目を見開いて二度頷いた。
「よく分かりましたね。寺院内の監視鏡を全て確認しましたが、そのどれもが朧げなものしか残していなかったため、生徒だろうと言うことは分かれども、寮まではこちらでは解析できませんでした」
一通りの説明を受けた後、シャルルたちは「この情報は他の生徒には教えないように」と念を押されて、再び転移魔法で学園の大広間へと戻った。
◇◇◇
風が窓を吹き抜けていく。ガラスが立ち尽くしている少年の足元に散らばっていて、メイド長はその光景を見て主人に報告しに走っていった。窓のそばに置かれていた花瓶も、突風と共に倒れて割れてしまっている。水がこぼれ、散った花と葉が風に舞う。
騒ぎに気づいた執事が他の使用人に指示を出し、メイド長に呼ばれた主人が足音高く少年の元へと
「またお前か!」
主人に怒鳴られた少年は一瞬肩を震わせたものの、表情はなく自分自身の手元をじっと見ていた。ガラスの破片が飛んで、チェーンを握る白い拳に赤い切り傷がついている。
「あれほど家の中で魔法を使うなと言っていたのに、自分で壊れたものを直せないだろう」
「ごめんなさい、父上」
少年はまたチェーンを強く握り直す。自分が家族と異なる魔力を持っていることに、ずっと恥ずかしさを感じていた。
「そんな様子では父上の跡など到底継がせられません。ジョージの方がよっぽど……」
父の横に立って眉間に皺を寄せる母は、後ろに隠れるように立っている幼い弟の頭を撫でている。
「次からは気をつけます、母上」
無表情に頭を下げる少年は、手に握った宝物を誰にも取られないように、そっとポケットに入れた。
◇◇◇
寺院の一件があった翌日、噂好きの生徒たちのよって瞬く間にこのことは学園中に広まっていた。評議員たちは、不審な言動をする生徒がいないか周囲に気を使うのと同時に、特定の人を名指しして、その人物がやったなどという根拠のない話をしている各寮の生徒たちを注意もしていた。シャルルとヴィンスが授業と授業の間で教室を移動するときなどには、「魔物のせいだ」などという、これもまた根拠のない噂で不安がっている一、二年生たちを宥めていた。
評議員としての仕事をしながらようやく辿り着いた東棟の教室の前で、シャルルは教科書を見て右往左往していた。その隣で腕を組んでいるヴィンスは、ちらりと懐中時計を確認した。針は授業開始の二十分以上前を示している。
「……うう、やっぱり、緊張する」
「前に褒められてたし、大丈夫だと思うけど? 少なくとも、僕よりは筋はいいって言われてたし」
「そ、それは……」
この日は能力別の授業で初めての小テストの日なのだ。能力別の授業はシエロは人数が少ないため縦割り、すなわち他学年の学生もいる。全員同じ寮なので特別心配いらないとヴィンスには言われていたが、先輩たちに見られていると言うことを考えると、シャルルはどうしても緊張せざるを得ない。もっとも、シャルルとヴィンスを含めて、シエロの能力別授業には五人しか生徒が来ていないので、緊張するようなものでもないのは彼自身もよく分かってはいるが。
「難しいことは何もしないはずだよ。天測庁の予報で答え合わせができるものだし、何年、何十年も先の星を読めなんて試験じゃないよ。星読みが苦手な僕でも、去年の小テストは難しくなかったよ」
それはヴィンスが優秀だからなのではないか、と思ったが口には出さずに、シャルルはさっきからずっと手に握っているペンデュラムを見つめる。窓の外からの光を取り込んで、きらきらと若草色に煌めいてシャルルの腕を照らしている。
「不安なら、ペンデュラムの整備でもするかい? まだ時間はある」
ヴィンスが自身の青い石のペンデュラムをジャケットのポケットから取り出した。初めて聞く言葉で、目を瞬かせたシャルルは自分の手元とヴィンスのものとを交互に見やる。
「整備って、どうやるの?」
「うん、見せてあげる。座ろう」
廊下の窓際に置かれているベンチを指してヴィンスが答える。二人が腰を下ろすと、影に青と緑の光がちらちらと揺れて重なっていた。
「必要なのはハンカチとか柔らかい布」
ヴィンスが白いハンカチを取り出す。Gの文字を模った豪奢な刺繍がされていることに気がついた。やはりヴィンスの家が大きいのだとほぼ確信めいたものを理解して、シャルルはなんだか気が遠くなる気持ちだった。
「ん? どうしたの、ハンカチなければ僕のを貸すけど」
「も、持ってるよ!」
シャルルは急いでジャケットのポケットに手を突っ込んで、以前祖父にもらった花の神マルガリア様の紋章が入ったハンカチを取り出した。ヴィンスがそれを認めると、自分の膝の上にハンカチを広げる。
「これの上にペンデュラムを置いて……ああ、この刺繍か」
ヴィンスはシャルルの目線に気がついて頷く。目は口よりもものを言うとはよく言ったもので、ヴィンスはシャルルが何かを言うより先に「グレイ家の紋章だよ」と答えた。
「……大きなお家なんだね、立派な刺繍だもの」
「まあ、一応ね。父親が侯爵ってだけだ。僕はただの子供」
肩をすくめたヴィンスは唖然とするシャルルをよそに、ペンデュラム整備の説明を続けた。あまり深掘りされたくないのだろうと思って、彼の家について尋ねるのを止した。
「石を留めている金具があるだろ? ……そう、それが緩んでないか確かめて」
ヴィンスの見様見真似で、シャルルも自分のペンデュラムに触れる。八面体にカットされた魔法石を丸いフレームで囲っている。この二つを接続している金具は細かな装飾がついたボルトのようなもので、シャルルのものはそれほど使っていないからだろうか対して緩んでもおらず、頑丈に絞められていた。
「大丈夫みたい」
「次は、ペンデュラムとチェーンがちゃんと繋がってるか見るんだ」
言われた通りにチェーンに緩みがないか、ペンデュラム側の金具にも不具合はないかを確認する。最後に、ハンカチでフレームと魔法石を磨いて終わりだ。シャルルのものは金具の不備も一切なかったが、じっくり点検をして磨いたからか、先ほどよりも手に馴染むような感覚がした。
「魔法道具はこうやって整備して、自分の手に合わせていくんだ。僕のはもう三年使っているからこのあたりが緩みやすいんだけど、能力を使う時にすぐに僕の魔力に反応してくれるようになった」
ヴィンスはフレーム自体についている小さな石をハンカチで磨きながら、少し楽しそうに微笑んだ。シャルルはそれを見て少し安心した。この後ある小テストのこともそうだが、時折ヴィンスがシエロの能力を疎ましく思っているのではないかと感じられる言動が気になっていたのだ。少なくとも、シエロに関わる、ペンデュラムは大事なものとして扱っているのだと分かって、シャルルも同じように大切にエメラルド色に輝くペンデュラムを磨いた。
そうやって、二人が静かに授業の開始時間を待っていると、コツコツと階段を登ってくる音が聞こえた。シャルルが見上げると、薄いブルーグリーンのロングヘアの生徒が眉を下げて微笑んだ。彼女は上級生、七年生のブランシュだ。その後ろからは黒髪のボブへアの五年生、ターディフも少し早足に続いてきた。
「二人とも早いね。まだ五分以上前だよ。あら、ゾニアも」
ブランシュはいつも授業に一番乗りであるため、すでに着いていたシャルルや後ろから来たターディフに驚いているようだった。彼女はブランシュに話しかけられて、すこし恥ずかしがるように教科書で口元を隠しつつ頷く。
「テストなので……」
「そうだね。リーヴスくんはテスト初めてだよね? 緊張してない?」
優しく微笑んで尋ねてくれる先輩に、シャルルはちらりと隣を見てから頷く。
「はい、ヴィンスと話していたので、少し落ち着きました」
「よかった。私も初めてはすごく緊張したんだ。友達がいると心強いよね」
またシャルルが頷くと、ヴィンスは小さく「そうか、友達……」と噛み締めるように呟いた。どうしたの、とシャルルが尋ねようとしたところで、クロエが溌剌とした声でブランシュに声をかけたのでやめた。
「ミュリエル、おはようさん〜……って、みんな揃ってる。偉いな〜!」
ちょうど示し合わせたかのように授業前のチャイムがなり、五人の生徒は教室へと入っていく。
授業が始まると、いつものように担当のディキンズ先生が転移装置で教室に現れた。先生は杖を振って蓋付きの籠を用意し教卓に載せる。
「さて、今日は予告したように小テストをしますよ。テキストは全てこの箱の中に入れて、自分のペンデュラムや杖だけを手に持ってくださいね」
上級生とヴィンスを見習って、シャルルも持っていた教科書とノートを籠の中に入れた。ペンデュラムはチェーンで首からさげて、ヴィンスの隣へ立つ。クロエはいつも携帯している翡翠が上部に飾られているステッキを持っていて、ターディフはシャルルたちとは形状が異なるが、同じくらいの大きさのペンデュラムを手に持っている。ブランシュの方は首にかけられるようなタイプではなく、一本のチェーンの両端に違う大きさの雫型の石が付けられているものだ。全員が異なる魔法石を使っているため、太陽光を反射して教室内が鮮やかに彩られていた。
「よろしい。では、箱の横に置いてある紙と自動筆記ペンを持って、一人ずつ北側の窓辺に立ってください」
ディキンズ先生に言われるまま、シャルルたちは紙とペンをそれぞれ一つずつ受け取り、他の生徒から離れて窓際に立つ。カンニングを防ぐために広い教室に五人がバラバラに分かれている。シャルルから二つ机を挟んで右の方にヴィンスがいる。窓辺に立っているのはこれから「星を読む」ためだ。
星読みとは、空に数多ある星々の動きと、それによって生じる魔力の変動を読み取るもの。この魔力の変動は、大規模な魔法道具や一部の人々に影響を与えるため、気象予報と同じくらい重要な情報だそうだ。教会内部にある天測庁という組織が、星読みの情報を気象予報と同じように毎日王国中に発信していて、シエロの能力別授業は天測庁が出すデータを参考に進めることが多い。したがって、占星術や天文学とは似て非なるものであるが両方の知識と、そしてシエロの魔力が必要だと言うことだ。
初めての授業ではどんなものなのか全くわからずに困ったものだったが、やってみるとシャルルはどうやら本当に筋がいいらしいと言うことがわかった。それはともかく、初めてのテストの緊張は完全には拭えず、何度も何度も頭の中でやり方を一から順に思い出してシミュレーションしていた。
「では、今回は今学期初めてのテストですから、簡単にしましょう。まず天の北極に位置する七連の星々の現在の位置を天の経緯度を用いて測定しなさい」
ディキンズ先生が教卓の後ろ側に回って、黒板に白いチョークでテストの内容を書いていく。
「二問目は精度が高ければ加点します。七連の星々の中心である北極星に注目しなさい。北極星において守護者である天帝が司る魔力の種類は、主にフォルツォに影響するものであるため、魔力スペクトラム中のフォルツォ数値を本日正午と明日正午で読み取り、その間の変動値を十段階で計算しなさい」
その指示だけ聞くと大変難しそうなものだが、一つずつ手順を追って進めていけばできそうだ。シャルルはペンデュラムに指で触れて外の景色に意識を向けていく。
「では、始め」
ディキンズ先生の合図とともに生徒達はそれぞれのペンデュラムなどを窓の外に向け、自動筆記ペンに触れた。基礎魔術の授業で使ったもののと同じように、魔力に反応して自動的に図や数値などを書き出してくれる魔法道具だ。先生が用意したものだから、不正ができないようになっているのだろう。そして、ペンデュラムやステッキは星読みを行うためにその力を最大限に引き出してくれる。
シャルルは天の北極へと視線を向ける。魔力によって彼の目には夜のように星々がはっきりと映る。北極星はその中で一際明るく輝いている。それを起点に、連なっている七つの星々 —— 一般に北斗七星と呼ばれるそれらの位置を順に確認する。ここまでは天文学で行うこととほとんど同じだ。シャルルは一度意識をペンと紙へ戻した。紙面には星々の経緯度を示す数値が書かれている。彼にはそれが正しいものか判別することはできないが、ひとまず一問目に取り組むことができて安心した。二問目に取り組むために再びシャルルは窓の外へ、明るい空へと視線を移した。
北極星は位置を変えず、天の北極で煌めいている。シャルルの目には虹のような光が映っている。それが魔力のスペクトラムだ。フォルツォがどれを示しているのか、星読みを始めたばかりのシャルルには難しいものだ。どうすれば良いかわからなくなっていたが、ともかくペンを動かそうと指を触れた。さり、さり、とゆっくりペンが動いていく音がする。意識を遠くの星へと向けていくにつれ、先ほどと同様に夜のように視界は暗く、インクを散らしたような星空が広がっていく。
——フォルツォはどれだろう……
シャルルが心の中で呟いた時、シャルルは自分が建物もない丘の上、満天の星空の下に立っているような心地がした。そう思えば、女性の声とも男性の声とも取れる囁きが耳に多層的に響く。気味の悪さよりも心地よさを感じるそれは、何か言葉を発しているようだった。
—— 誰? なんと言ってるのだろう……?
風に揺れる木の葉のような、浜辺を打つ漣のような、音、声は次第に一つに重なった。
「……『◆◆◆』」
深いその音に驚いて後ずさる。同時に、北極星へ向けられていたシャルルの意識は教室に戻っていく。急激な視界の変化に目を擦り近くの机に手をついた、その拍子にがたんと大きな音が鳴る。
「今のは……?」
「シャルル?」
隣にいたヴィンスが声をかける。シャルル以外はみんなテストの回答を終えていたようで、彼に心配げな視線を送っている。ディキンズ先生も少し驚いた様子でシャルルに駆け寄る。
「眩暈でもしたか?」
「いえ……」
首を横に振って、シャルルは自分の答案用紙に視線を落とす。二問目の数値も書かれているのはわかったが、最後に聞いた不思議な音のせいなのか、最後の方の文字はぐちゃぐちゃで読み取りにくいものになっていた。
「もしかして……何か聞いたの?」
シャルルの様子を見ていたブランシュが、どこか期待するように尋ねる。その言葉にハッとしたのか、ディキンズ先生がシャルルの肩を掴んで同じことを繰り返し聞いてきた。
「聞いたか?」
シャルルが恐る恐る頷くと、驚きの声が教室に満ちる。
「声が聞こえるようになるとは!」
「こ、声?」
シャルルは不安げにヴィンスを見るが、彼も見当がつかないようで首を横に振っている。代わりにディキンズ先生が、シャルルの回答用紙を見て唸りつつ答えた。
「『星天の声』だ。純粋なシエロで、非常に強い星読み能力を持つものだけが聞こえる、天界の神々からのメッセージだ。この学校でそれが聞こえるものはほとんどいない。リーヴス、君はとても筋がいいぞ」
感嘆する先生や先輩たちの声にうろたえたシャルルが再び窓を振り返ると、明るい昼の月が蝋燭の先の炎のように僅かにゆらめいたように見えた。