寮で夕食を食べ終えたあと、シャルルはヴィンスとウィルの三人で図書館に向かうために校舎へ向かって歩いていた。父とジュネット先生の共著論文を見にいくためだ。ウィルにも日記のこと、父が残していた研究メモの内容を伝えた。シャルルはヴィンスと二人だけじゃなくて、ウィルにも話を聞いて、よく考えてみたいと思ったのだ。
「俺さ、舞台の演目でこのメモに書いてあるのと似たようなはなし見たことあるよ」
話を聞いたウィルが答える。幸いにも月明かりの照っている満月の今夜は明かりがなくともメモに何が書いてあるか読むことができたらしい。シャルルがメモを大事そうにポケットにしまうのをみてから、ウィルが続ける。
「蝕って、多分日食とか月食のことでしょ? それが原因でいろんなハプニングが起きてしまうって話だったんだけど、だいぶ前に見たから詳しく覚えてなくて……なんか原作があったはずなんだよね。それの本が図書館にあるかどうかはわかんないけど、ヒントになるんじゃない?」
「……そういえば、今月は月食があるって新聞で見たな」
ヴィンスが顎に手を当てて考え込む。シャルルはぐるぐる巻きにしたマフラーの内側からモゴモゴと返す。
「だから不思議な事件が多いのかな? いつあるか覚えてる?」
「いや、覚えてないな。それも図書館にある新聞で確かめてみよう」
シャルルはそれに頷いて、手元でちかちか光ってウィルの方へ矢印を向けているバラ型のおもちゃの通信装置。対になっている装置の居場所を指しているのだ。シャルルがウィルを呼び出すために使ったそれをみて、ウィルがニヤリと笑う。
「ていうか、それの使い方上手になってきたよね」
「まだちょっとしか使ってないけどね……」
「もっと使ってよ。友達に呼ばれるのは嬉しいんだからさ〜」
その時、シャルルは強い違和感を感じて固まった。隣にいたヴィンスはそれに気がついて足を止める。ウィルだけが気づかずに機嫌良さそうな足取りで数歩前を歩いていく。
「何かに見られてる」
雪を踏みつける足音が四つ、ゆっくりとシャルルたちに近づいていた。
シャルルがその音のする方向へと目を向けると人間の大人ほどの大きさの獣がいた。犬のような狐のようなそれは鋭い目をこちらへ向けて低く唸っている。その背には何かがくくりつけてあるのが月明かりに照らされて見えた。
獣はシャルルたちに鋭い咆哮を浴びせると、ウィルの方へ走っていく。
「ウィル!」
ヴィンスが叫んだ瞬間にウィルの首元へと背後から噛みつき、彼を引きずって獣は学園校舎へ向かって走っていく。助けて、とウィルの声が急激に遠ざかる。シャルルとヴィンスは考えることなく走り出した。
「見えなくなる前に追いかけないと!」
二人はもつれそうになる足を懸命に動かす。シャルルはつけたままの通信装置をしっかりと握りしめてヴィンスと共に走る。
「これがあるから、場所はまだわかる。急ごう!」
——どうか、ウィルが傷つきませんように
シャルルは祈りながら走った。もっと足が早ければ、もっとすぐに反応できていれば、自分が変に足を止めなければ。
涙が出そうになったが堪えてシャルルはヴィンスと共に獣が走っていった方角、手元の通信装置が指す方へと向かう。
大きな獣が校舎の内部へ入っていったのは見たが、そこから見失ってしまった。夜の校舎には生徒一人としていない。ひとまず矢印が指している方向へと走っていくと、シャルルたちは中庭の中央へ辿り着いた。
ヴィンスは辺りを見回しながら、息を整えている。シャルルは手元の通信装置が狂ったように矢印をぐるぐるとあちらこちらへ回しているので困惑しながらヴィンスに見せる。
「どこへ行った?」
「わからない。でも……あれ? 下を指してる」
急に動きを止めたかと思えば、矢印は下を向いて止まる。地面を見ても、雪に覆われた地面しかない。
「下? ここから下の階なんかないはず……」
「この前ウィルが言ってた地下道かも」
シャルルが呟くと、ハッとしたヴィンスも頷く。
「入口を探そう」
二人は広い中庭を走り回った。
——星天の声が聞こえたらいいのに
シャルルは願いながら自分のペンデュラムを握る。あの日、雨を降らせられてた時のように、何かできないかと、シャルルは祈るようにペンデュラムと通信装置を両手に掴んだまま、中庭に立つモニュメントをあちこち探ってみる。ヴィンスは冷たさを厭わずに風を使って周囲の雪を払い、地面に何かないか探っている。
シャルルの祈りが届いたのか、ヴィンスの風が雪を吹き払って現れたのか、枯れた芝生の上に瑞々しい小さな花が一輪、月光に照らされて中庭の中心に咲いていることに二人は気がついた。
「マーガレットだ」
シャルルは思わず近づいてしゃがみ込む。
——マルガリア様、どうか、ウィルの居場所を教えてください
祈りながらその花に触れる。
握りしめていた二人のペンデュラムが光り、雪に緑と青が反射する。あたりが光と温かさに包まれてシャルルとヴィンスは唖然としてその場に膝をついた。
二人の目の前には、とても言葉では表しきれないほどの美しさを讃えた「何か」がそこに立っていた。シャルルはそれを以前見たことがある。
それは、シャルルが触れていたマーガレットを、白く細い指先で摘むと、その顔の元へ持っていき、恭しく一礼をした。
《翳りし光明の主人の花がそなたに微笑みかけている》
その声は夢で見たあの美しい何かと同じだった。男とも女とも思われる、心地の良い声。
「光明の王子の使者か?」
それはヴィンスの問いを聞いてはいるようだが、シャルルの方へ向いたまま、再び声を発した。
《陽は風を呼び、花は地に雨を呼ぶ。全てを見る者よ、そなたに眠りし花を信じよ》
シャルルをまっすぐに見ている。それの顔をはっきり捉えられないが、シャルルはそう感じた。そして「全てを見る者」とは自分のことなのではないかと思い、乾いた口を開く。
「僕に何かできるの?」
それはシャルルの問いに《左様》とだけ答えて消えた。それがいた場所には、マーガレットの花びらがひらひらと舞っている。
呆然とする間も無く、叫びが二人の耳に届く。
「お前ら‼︎」
振り向けば、西棟の入り口から黒髪の少年が息を切らして立っている。ロイだ。彼は手をかざして火の玉を作り、二人の顔を見て一度大きく息を吸ってから再び叫んだ。
「梟を見たか⁉︎」
「見てない! 大きな犬は見た!」
ヴィンスが大声で返す。隣で困惑しているシャルルをちらりと見ると、ヴィンスはシャルルの手を引いてロイの元へ走る。つまづきそうになりながらも、一緒に走ってそちらへいく。シャルルたちを見やると、いつもとは違う焦燥し切った顔で舌打ちをする。
「ツキシロ・トーマか。誰が連れていかれた? サマセットか」
「うん、ウィルが」
シャルルが答えると、ロイは頷いてから外に顔を向けて空を見上げる。黒い瞳に満月が反射している。
「月蝕が始まる。はやく見つけないと何されるか」
ロイが呟いて走り出すので、シャルルとヴィンスも慌ててそれについていった。
西棟の階段の入り口に着くとロイは自分自身の右手を、壁のある一角にかざして何か呟いた。それと共に胸ほどの高さの小さな扉が現れた。屈んで入っていくロイは、シャルルたちに付いてこいと言うような一瞥を投げてから暗い扉の先へと向かっていく。
「開けておけ。灯りはある」
扉の前で立ち止まっているシャルルを感じてか、ロイがそう言って先頭を進んでいく。ヴィンスに背中を押されて、シャルルも細い通路に足を伸ばした。扉は小さいが、通路の高さはそれなりにあった。肌に触れるひんやりとした感覚。よく見れば階段が下へ続いているようだ。転ばないようにヴィンスに「段差がある」と伝えてロイに続いていく。
「どういうことなんだ?」
ヴィンスがシャルルの後ろからロイに話しかける。
「どれについて」
ロイが苛立った声で返す。
「俺があいつらを追いかけてることか? この通路か?」
「両方だ」
声を交わしている二人の間に挟まれたシャルルは、この状況に戸惑いながらも自分が手に持った通信装置の矢印が前方を指していることを確認して、ロイが行く先を信じることにした。
「ラデクとエミリアが梟に連れて行かれたから追いかけてる。梟たちは魔物、ジュネットの手先。この通路は地下講堂へ向かってる」
階段が終わった先で、一度立ち止まって振り返ったロイが灯りをこちらへ向ける。顔が照らされて、その目が赤く光るのをシャルルは見た。ロイが手にした炎と同じ色だった。
「ジュネット先生は悪い人なの」
「薬の実験対象を集めてる。サマセットもターゲットになったんだろ」
シャルルとヴィンスが階段を駆け降りてきたのを確認すると、平坦になった狭い道を並んで走っていく。三人分の足音が、石の壁を反響していく。どこまで続くのかわからないくらい走ったところでロイが止まる。少し空間がひらけて、彼らの前には重厚な扉が構えている。ポケットから時計を取り出して確認したロイはまた舌打ちをして、シャルルとヴィンスに短く声をかける。
「月蝕が始まった。魔物が暴れる」
ロイが手にした炎を大きくすると、シャルルに向き直る。
「この扉を焼き払う。鎮火しろ」
「え?」
シャルルの返事も聞かずにロイは右手を扉にかざす。
「フィグニウム・スフィス(炎よ 拡がれ)」
唱えた言葉と同時に扉が業火に包まれて、轟音を立てて分厚い扉が崩れ落ちていく。シャルルはあの日のように雨が降るよう祈りながら、首にかけたペンデュラムを握りしめ、そこへ魔力を流す。
「シャルル、そのまま手を扉に向けるんだ」
ヴィンスが隣に立って同じように青いペンデュラムを掴んでいる。言われるがまま通信装置を掴んでいる右手を伸ばす。水が流れ出るように、炎を消すことができるように願いながら、目の前の業火を見つめた。
たちどころに水の塊が現れ、その瞬間ヴィンスがそれを押し出すように強風を送る。シャルルとロイが吹き飛ばされそうになる直前で二人の腕を掴んで引き戻す。業火に巨大な水の塊が激突したと思えば、水が蒸発する音ともに、火が消える。
ロイは掴まれた腕を見て振り払うと、瓦礫を蹴散らしながら進んでいく。シャルルたちも何も言わずに追いかける。
扉の先は、地下とは思えないほど広がっていた。あるはずの天井はなく、先ほど見ていたはずの夜空が映し出されていて、遠く離れた星空が見え、欠けていく月が見える。
部屋の中央には倒れたウィルとラデク、エミリア。そして傍には先ほど見たはずの獣と同じ耳と尾を持った青年と、大きな翼を持った青年が並んで立っている。見るからに半獣の魔物。シャルルたちがやってきたのを見て、獣の青年は顔を顰めた。
「はーあ? 追いつかれた。なんで?」
「それも計算づくだよ」
ロイは距離を取ったまま、魔物の二人を睨みつける。
「お前らの行く場所なんかわかってんだよ」
「賢いね、ロイ。君の魔力があればきっとマスターも喜ぶだろう。もう君はマスターに恩返しするにはこれしかないはずだから」
翼を広げて青年が微笑む。隣に立って苛立っている青年は今にもシャルルたちに飛びかかってきそうな気迫がある。
「ねえ、そっちの二人はどうするの、カイル」
「落ち着いて、トーマ。シエロ二人は大事だ。マスターの指示を仰ごう。もうすぐ来るはずだから」
ウィルをちらと見てトーマと呼ばれた獣の青年は、横たわっているウィルの脇腹を軽く蹴って、「まだ効いてる」とつぶやく。もう一人の青年、カイルもラデクとエミリアを翼の先で突いて頷く。
「君たちのマスターは、ジュネット先生か」
ヴィンスが声を震わせながら尋ねる。広い講堂に彼の声が響く。シャルルはヴィンスが飛び出して行かないように、腕を掴んだまま離さないようにした。トーマとカイルが返事をしようと口を開いたが、目を見開くとその瞬間に跪くようにその場にしゃがみ込んで低頭する。シャルルは背筋が凍った。自分の前後から視線を感じたのだ。動くと何があるかわからないと感じ、ヴィンスの腕をより強く掴む。
「そうだ。ヴィンセント・グレイ、ロイに聞いたかい? 君たちは仲が良くないと思っていたんだけれどね……」
聞き慣れた優しい、穏やかな声が答えた。硬い床をゆったりと歩く足音が前方から響いてくる。跪いたトーマとカイルの頭を撫でるのは、少しやつれた顔のジュネット先生だった。
「シャーリーに任せていてよかった。君たちが何か探っているかもしれないと言っていたのは本当だったようだね?」
ゆったりと瞬きをしてからジュネット先生がシャルルの方を向く。その視線の冷たいこと。凍り付けられたようにシャルルは指一本すら動かせないような気がして息を呑む。ヴィンスもロイもその場に立ち尽くしている。
「何か隠しているな、シャルル・リーヴス」
シャルルが感じていた背後からの気配が急激に近づいた。その影は隣に立つとシャルルに微笑みかける。恐る恐る、シャルルが横目に見たのはケインズ先生だ。
「手を開いてみなさい」
ジュネット先生に言われて、震える手を広げる。右手に掴んだままだった通信装置が音を立てて落ちた。
「おもちゃ? そんなものじゃない。クラウス、彼のポケットを見ろ」
苛立って声を荒げるジュネット先生にシャルルの肩が震える。ケインズ先生がシャルルのジャケットのポケットに手を入れ、かさりと音が鳴り、口角を上げる。
「あったよ、クイン」
——父さんのメモが……!
シャルルは内心焦るが恐怖で体がすくんで動かない。ケインズ先生は折り畳まれたメモを取ると、シャルルから離れてジュネット先生の方へと歩み寄る。
「やはり、息子に託していたみたいだな」
「よくやった」
ケインズ先生からメモを受け取ったジュネット先生は、トーマとカイルの顔を覗き込むようにしゃがんで彼らに微笑みかける。
「マスターのためですから」
「僕らからできるのはこれくらいです」
二人がそう言って顔を輝かせる。ジュネット先生は再び立ち上がるとシャルルたちの方へと向き直った。メモを開いて中身を見ると、悔しそうな、嬉しそうな、複雑な表情を浮かべてシャルルへと視線を投げる。
「いつ知った?」
「……何、を、ですか」
「私の研究についてだ。リーヴスが……レイモンド・リーヴスがお前に伝えただろう」
怒りを滲ませた声でジュネット先生が声を荒げる。
「私と父の、生涯をかけた大切な研究を、お前たちが邪魔をした……‼︎」
8.1 星天の導き
星天の守り子