寒冷の候、花を啄む

 十二月二十八日、いつも通りの朝。紺元凌司はネクタイを締めて、溜息をつきながらジャケットを羽織った。本当ならば仕事を納めて、どうにか年末の休みを確保したかったのだがそうは問屋が卸さない。一般企業や前職場の役所と同様、年末は諸々の書類仕事が一気に舞い込み、経理関係は格別忙しくなる。それはそれでいいのだが、別の事務所絡みの面倒事も押し付けられてしまったのだ。要は部下の尻拭いなのだが、その対応のために大晦日の休みすら無くなったことが確定している。
 せめてもの慰めにと、一番気に入っている香水を振り、凌司は仕事鞄と携帯電話を手に取りリビングのドアを開けた。
〈行ってくる〉
 いつも通りパートナーの紫穂子にメッセージを送り家を出ると、駐車場に向かう間に立て続けに二、三の通知が入った。どうせまた何か欲しいものか行きたいところだろうと思いつつ、車に乗り込んで確認した。
〈誕生日おめでとう〉
〈帰りに電話してちょうだい〉
〈行ってらっしゃい〉
 今年も彼女に自分の誕生日を思い出させられた。毎度忙しすぎて忘れてしまうのが本当のところで、もう三十代後半ともなると誕生日の嬉しさもない。だが紫穂子に祝われると多少なりとも、いや大いに嬉しいと思うのは歳のせいなのか、などと感じつつ、凌司はメッセージを見て微笑んでいた。
〈ありがとう〉
 それだけを送って彼は職場、鴉鵲会本部へと車を走らせた。

「お疲れ様です。年末調整の書類まとめ終わりましたので、データ確認お願いします。それと、会長が探していらっしゃいましたよ」
 部下の白川が、短い昼休憩から戻った凌司に声をかける。
「ああ、わかった。……また何か誰かしでかしたか?」
「さあ、どうでしょう。いつも深刻そうなお顔されてますけど、そんな雰囲気ではなかったような」
 白川の言葉に眉間に皺を寄せて、凌司は何度目かの溜め息をつく。ボスの前でそれを言うと首が飛んでも知らないぞ、と思いながらも仕事の指示を出す。
「別事務所の件、今まとめてある分は印刷して私の机に置いておいてくれ」
「承知しました!」
 発言が多少気にはなるものの、白川は仕事ができる、凌司の優秀な「駒」の一つでもある。気持ちのいい返事に半ば感心し、ボスの部屋へと足を向けたところで、白川がまた引き止める。
「あ! 本部長!」
「何だ」
 まだあるのか、と更に眉間の皺を深くして凌司は振り返る。
「お誕生日おめでとうございます!」
「……さっさと仕事に戻れ」
 全く誰から聞いたんだ、と呆れながら踵を返し今度こそボスの元へ向かう。

 ボスは恐らく事務所の部屋に居るか、本邸に戻っているかと当たりをつけた。凌司は一先ずボスの部屋に向かっていると、若頭補佐の相神が誰かと電話越しに話をしながら、向かいから早足に歩いてくる。ここでああいう風にして電話をしているということは、おおよそ相手は若頭の怜司君だろうと凌司は踏んでいる。怜司君はともかく、相神に対して凌司はあまり良い印象がない。あれは酷い喫煙者に加えて、さらにタバコ系の香水を付けるものだから、凌司の苦手な匂いを強烈にさせている。そういうわけで彼は毎度、相神とすれ違う時には身構えるのである。すれ違う瞬間に息を止めていると、じと、といった目線で相神が凌司を一瞥した。 別に何か嫌味を言われるでもなく、事務所の廊下ですれ違った以上でも以下でもないが、やはり気に食わない奴だ、と凌司は息を吐き出した。
 それから程なくして部屋に向かう途中、見慣れたストールをかけている姿が凌司の目に入った。ボスの手前、失礼な姿では出たくないため、何もついていないだろうが袖の塵を払うようにし、ジャケットの裾を軽く引っ張って皺を伸ばす。
「ボス、お呼びでしょうか?」
 凌司が声をかけると、眼鏡のチェーンを揺らしてボスが振り返る。いつもの花屋にでも行ったのか、大きな紙袋が手に提げられてあった。
「ああ、紺元か。探す手間が省けた」
「ボスが探していると白川に言伝られたもので、急ぎの要件かと思ったのですが、何か問題でもありましたか?」
「急ぎでも問題でも……いや、問題は何かしらあるんだが、その件は関係がねぇな」
「はあ、左様ですか」
 訝しみながらもボスに続きを促すようにして待っていると、凌司の目の前にボスが持っていた大きな紙袋が差し出される。
「これをお前にな、紺元、誕生日おめでとう」
「わざわざ、ありがとうございます」
 驚きつつも受け取り、ちらりと袋の中を見ると、数種類の花をまとめたブーケが収められていた。
「頑張ってくれているから、その褒美だ」
「私には身に余る褒美ですよ。ボスから直々に頂けるなど。……しかし、この間もそう言って菓子折を頂いたような気もするのですが」
「あれは厳密には俺からじゃねぇんだがな……」
 ぼそりとこぼすボスの言葉に少し首をひねりつつも、頂いたものを無下にするまいと凌司は笑顔を作って謝辞を述べる。
「左様で? なんであれ、私の事まで気にかけて頂いて恐縮しています。ボスと鴉鵲会に貢献できるように今後も励みますよ」
「頼りにしている」

 結局あの後、別事務所の件の問題を報告して、いくつかボスから若衆への苦言を貰った。それから別邸にいる那智君から連絡を受けて対応し、ようやく凌司が自分のデスクに戻ったのは、白川と話してから約二時間後だった。
 指示通り報告書がファイルに入れられて置いてあり、付箋で「確認お願いします。白川」とメモがされていた。決算書の確認もあった事を思い出し、デスクトップの電源を入れようとしたところで、書類の山に埋もれるようにぽつんと一輪の花が置かれているのに気がついた。握りしめていたのか、包装紙と気持ちばかりに添えられた青いリボンに皺が入っている。
 誰が置いたのだろうか、と周囲を見回すが、凌司直属の部下たちはこんな可愛らしいことはしない。プレゼントをせがむならまだしも、花を送るなど言語道断。しばらく考えて、もしやと思い浮かぶ若衆の一人、神池。
「あいつか……」
 ボスと話している間にかなり視線を感じていたが、凌司はてっきりボスに用事があるものだと思っていた。実際に用があったのは凌司だったということがわかった訳だが、直属でもない部下からこんな可愛らしい贈り物を貰うと、どうにも気が抜ける。花のプレゼントという点においては、ボスと同じだが、センスの良いブーケなのか、素朴な一輪なのかで印象は当然違ってくる。しかし、どちらも完全に厚意で贈られているとあっては、お役所あがりの冷徹さと言われる凌司ですら、冷たくあしらいも出来ないものである。言わずもがな、贈り主によるものではあるが、祝われるのも悪くはないか、と柄にもなく凌司はひとり心中で笑い、小さな花をボスから貰った紙袋の中にそっと入れた。思いがけず、紫穂子が面白がりそうな話が出来た、と書類に向かう彼の仕事は、まだ山積している。

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